1.マンネリ化現象とは
カエルを二匹取ってきて、一匹を水を入れた鍋に入れる。その鍋を徐々に温める。温度の変化が徐々であるので、カエルはなんの不安も持たずに、心地よく鍋の中にうずくまっている。カエルはいつでも逃げだそうと思えば逃げ出せるのに温度が上がっていっても何の変化意識も持たずに、そして高温になっても気づかず、やがて沸騰した湯の中でゆで上がって最後は死んでしまう。
今度は、もう一匹のカエルを持ってきて、その沸騰した湯の中へ入れる。当然カエルはびっくりし必死で鍋から飛び出す。そのカエルは火傷をするかもしれないが死なずにすむ。すなわち前者は変化に気づかずに死に、後者は反射的に変化を察知して生き残る。
ぬるま湯がじわじわと熱くなっているのに、 目に見えて何かが起きないと危機感が広がりません。上の寓話はマンネリ化しないこと、ゆでガエルにならないことの重要性を説いています。
熱湯にほりこまれたカエルは飛び跳ねて脱出しますが、 ゆっくり水温を上げていくと、ゆであがって死んでしまうのです。 人は慣れた環境に浸りすぎると、生死を左右する重大な環境変化にも気付かず、やがて命取りになるという警句で、ゆでガエル現象(マンネリ化現象)は、個人、組織、団体、企業、国家、政治・経済などすべての世界でいつでも起こりうる恐ろしい現象で、最近でも多くの例が紙面を賑わしています。
ぬるま湯、すなわちマンネリは、あまりにも心地よい環境ですが、すべての力が抜けて行きます。鍋のなかの湯が段々高温になってきて飛び出さないと死ぬかも知れないと思ったカエルも、しかしもうその時には飛び出す力が残っていないのです。変化を感知できない、また感知したとしても対応する力が残っていません。
我々も変化に対する感度を落としていないでしょうか。もしそうだとしたら、早晩マンネリ化したゆでガエルになる危険性があります。そういう警鐘が、この話の中に含まれているのです。もしこの現象に陥っているとしたら恐ろしい病気に掛かっていることになり、感度と感性は減衰するばかりで、やがて無能力化し死に至ります。
マンネリ現象とゆでガエル現象は同じです。人間は、考えるときと考えないときがありますが、 考えた時の方が平均的に良い仕事をします。 一番考えるのはうまくいっていないときであり、うまく行っている時は何も考えません。そしていとも簡単にマンネリ化が始まります。多くの人間は、昨日と今日と同じ言動をします。 いままでうまくいっていたら、特に同じ言動の仕方を続け、 そしていつの間にか同じパターンをつくり、 そのうちに何も考えなくなってマンネリ化が始まるのです。 特に「自惚れ、安心、満足感」が心の中に起きたときには、感度と感性が鈍りマンネリ化するので危機です。
2.マンネリ状態になると変化への対応が出来ない
世の中すべては“変化”します。市場は変化する、競合は変化する、技術は変化する、環境は変化する、 友人も知人も家庭も変化する。すべては変化するのが正常で、変化しないのが異常なのです。変化はこれまでの事実を壊し過去のものにし、新たなものを生み出す源泉になり、そこに好機と危機を多発します。過去の、そして今日の事実のすべては、明日になれば仮説になります。
カメラ業界の激変もすごい。長く存在したアナログ・カメラは、あっという間にデジタル・カメラに取って代わり、さらにすぐ携帯電話の部品になり下がってしまいました。写真はカメラでなく“携帯電話で撮る”となったのです。カメラの命もここまでかと思われましたが、高機能・高性能のデジタル・カメラがまた出てきてカメラの市場を再形成しました。IT業界と一緒になって、またカメラのポジションを変えるかもしれません。そのうちカメラって何?デジカメって何?といわれる時代が来るかもしれないのです。
世の中は「変化」する、それだけがただ一つの不変のものです。変化することが正常であり、変化しないことは異常なのです。しかし人間は、変化することが大変苦手な動物です。なぜでしょう? 多くの人間にとっては不変化が “もっとも楽” なのです。多くの人間は変化が嫌いな動物です。不変が大好きな動物です。そして変化への免疫性が非常に高く、その抵抗力はすさまじく、人間にとっての最大の防御は現状維持です。変化だけが不変で普遍現象なのであるはずなのに。変化に対する感度の最大の敵がマンネリ化です。
―無変化は無難で、現状はまぁまぁ心地よい
―いま特別困っていない
―いま、考えなくとも、結論出さなくとも死ぬわけじゃない
―いずれ機会があるときに考えよう
―変化は未知の世界のようで億劫である
誰もがそう思います。また、
...
変化もなく、平凡で心地よい状態
興奮することもなく、新たに大きな挑戦もない
特別に熱中することもない
人生に対する特に大きな目標も夢もない
こういう状態の人は、ゆでガエルでマンネリ状態です。
だから、変化への対応というものは、とんでもないことが生じない限りなかなか起きません。
変化に対応すると言うことは、それなりの痛みを伴うかもしれません。それほど、人間は変化とか突然に弱い動物である。逆に言えば現状に対する満足感が大きいのです。従って、多くの人、組織、企業、国家は変化の到来が判っていても、その対応は恐ろしいほど鈍いのが通常です。そして対応が遅れれば遅れるほどそのリカバリ-に多量のエネルギ-を必要とします。
進化論者のチャールズ・ダーウィンの次の言葉はあまりにも有名です。
生き残るのは、種の中でもっとも強い者ではない。
種の中でもっとも知力の優れた者でもない。
生き残るのは、もっとも“変化”に適応する者である。
【後編】につづく