クリーン化について、人財育成に触れています。今回のその6、前回に引き続き、人を育てるにはです。
【この連載の前回:クリーン化について(その100)人財育成(その5)へのリンク】
1.海軍大将 山本五十六元帥の言葉
私は入社したころ、出来の悪い奴だと良く言われた。先輩の中には、3シグマから外れた奴だという人もいた。つまり規格外れだというのです。そう言いながらも、その場で上司や先輩が指導、支援してくれた。これはOJTだが、自分はここから学んだことが多い。
やらされるのではなく、やって見せてくれ、うまくできれば「できたね、すごいね」 と褒めてくれる。それが嬉しいのだ。仕事が楽しくなるのだ。そして仕事への向かい方が変わるのです。今日は褒められたと気持ちよく帰宅できた。
これは、山本五十六元帥(海軍大将)の「やって見せ、言って聞かせて、させて見せて、褒めてやらねば人は動かじ」 という言葉の通りだが、それを意識せず、自然にやってくれた。
この言葉は、旧労働省の“仕事の教え方”の基である。そこから何かに向かう気持ちが出てきたのは確かだ。そして言われてやるのではなく、自ら学ぶことに繋がってきた。褒めることは人を動かすのです。今思うと、良い上司や先輩に恵まれたものだと思う。
人財不足の時代、即戦力と言うこともあるが、若い人への上司の対応はどうだろうか。やって見せられると、共感を得ると思う。この仕事の教え方は経営者や管理職などすべての人に学んで欲しいと感じている。
2.自ら学び育つこと~人財育成のもう一つの面
人財育成のもう一つの面、自ら学び、育つことについて事例を紹介する。自ら学ぶということは、自分に引き寄せる、自分の問題として考えることに繋がり、自己成長に繋がるのです。同じことであっても、やらされるという被害者意識があるうちは、なかなか気が進まないものだ。ひとごとのうちは、自ら学ぶことには繋がらない。受け身ではなく、自ら積極的に取り組む用になるのです。
(1)薩摩藩の強さ~先輩が後輩を育てる(その1)
昔、鹿児島に旅行した時、歴史、史跡を見て歩いた。お城の石垣には砲弾の跡が残っていた。ここは薩摩藩が納めていた。旅の目的地を鹿児島に選んだのには理由がある。赴任先の山形県酒田市には南洲神社がある。庄内平野の中心に飯森山という小さな山があり、その麓にある。これが庄内平野の測量の起点ともいわれる。南洲翁とは西郷隆盛のことだ。庄内藩が薩摩藩に留学生を派遣したことから深い繋がりがある。のちに庄内藩は新政府側についたため、薩摩藩とはねじれの関係になったが、相互に思いやる立場は続いたようだ。
鹿児島で見聞きしたことの中に、薩摩藩には人を育てる仕組みがあったという。西郷隆盛という優秀なトップもいたが、藩士そのものが、後輩を指導育成する仕組みがあり、結束力が強かったそうだ。武士として単に強いだけでなく、内面的な強さもあったのだろう。
指導する側も教えることができる、という資質が伴っていなければできないので、自らを高めるために学び、後輩たちに指導していた。武術だけでなく、教える相手に如何に伝えるかということにも心血を注いだとのこと。人としても卓越していたのだろう。庄内藩の留学性の派遣の目的は、単に戦の仕方だけでなく、この“人の育成”について学ばせようとしたのではないだろうかと推測する。
(2)部下を持つ練習~先輩が後輩を育てる(その2)
クリーン化で現場診断、指導に行ったある会社の事例。
経営者の方と話をしたところ「どんなに経営が厳しい時でも必ず採用する」 と言っていた。その理由は、採用に穴を開けないということだ。現場では、新入社員が入ってくると、先輩たちが面倒を見ようとする。先輩ぶってみたい部分もある。ところが、自分が教えたことが伝わっていない。理解されていないという場合がある。どうして伝わらないのか、何がいけないのかわからない。そして接し方や教え方を考える。
監督者になるための準備の場でもあるのだ。知らず知らずのうちに部下を持った時の訓練をしているのだ。これは、私が水晶腕時計の増産のた...
一人も採用しないと、その部署では、何年たっても自分が最年少ということになる。つまり、甘えが出たり、大人になれない部分もある。その人が他の職場に配置換えがあり、部下を持つ立場になった。それが急では困るのだ。
後輩を教える機会は、管理、監督者の練習の場だ。人を繋げることが、企業が繋がることとの考えなのです。それで採用活動は継続している。だから景気が悪くても必ず採用するというのです。
次回に続きます。
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