技術戦略 研究テーマの多様な情報源(その39)
2016-04-14
良いアイデアを創出するための大きな枠組みには『発散』と『収束』を繰り返すがあります。前回は収束思考の解説をしました。今回は、また戻ってしまいますが、『発散思考』の解説をしたいと思います。
この言葉は2名は米国の大学の教授が著した「企業創造力」(アラン・G・ロビンソン/サム・スターン著、英治出版)の中に出てくるものです。この二人の著者は日本企業の創造性の研究を幅広く行い、その内の一人のサム・スターンは東工大でも教鞭をとった経験を持つ、日本を良く知った学者です。日本企業のことを良く知らない外国人が言っている、海外で見られる一般的な意見とは異なります。
本当に彼らが言うように、日本企業は発散思考が苦手なのでしょうか、この議論は、日本人の間でもなされてきた議論です。通常は、「そんなことはない。ウォークマンを見ろ。任天堂のファミコンは世界中で受け入れられてきた。」という意見が出され、悲観論を敢えて避け、またどうにも釈然としないながらも期待を込めて「日本人も創造的である(発散思考ができる)」という結論に至るのが常です。
私は、日本企業は上の2人の米国の学者が言っている通り、明確に「発散思考は苦手」と考えています。もちろん、ウォークマンやファミコンの他にも日本企業が発散思考で革新的な製品を世に出した例はあります。しかし、それはこれまで膨大な製品を創出してきた日本企業ですから、その中にはそのような例はあるのは当然でしょう。一方で、その数は、例えば米国の企業などに比べ遥かに少ないのは事実ではないかと思います。
日本企業が発散思考を苦手としている、言い換えると発散思考の反対である。収束思考を得意としている点については、明確な歴史的な背景があるように思えます。明治維新後現在まで150年もの長い間、言い古されたことではありますが、日本企業は、欧米社会や欧米企業のキャッチアップを主要な戦略としてきました。それは今でも続いていることです。
この戦略では、発散思考は必要ありません。ひたすら、欧米企業もしくはその製品の実現、後半ではそれを品質において凌駕することを、収束思考で脇目を振らずに邁進してきました。そして、直近20年ぐらいは別にして、大きな成功を挙げてきたと言えます。ですので、日本企業の現在の経営陣は、この成功体験で会社の出世階段を登ってきた人達です。またこれらの人達は、先代からも収束思考の重要性を叩き込まれてきました。ですので、極論すると、収束思考が骨肉化していると言っても言いかもしれません。そ...
の結果が、QCDの向上を極端に重視する経営の蔓延です。経営陣自体が、発散思考をすることができないという状況にあるように思えます。
この点を曖昧にして、企業の経営に当たることは大きな問題です。なぜなら、問題を明確に認識しなければ、その解決は困難だからです。収束思考重視の考え方は組織のすみずみにまで広範に、そして深く定着してしまっていて、その払拭には大きな、そして持続的な活動が必要だからです。