-安全剃刀、テレビジョン- 失敗の繰り返しが発明を生んだ (その3)
2015-10-13
発明一家の出身でありながら、40歳になるまで輝かしい発明とは縁のなかったキング・キャンプ・ジレットは、ある朝ひらめきます。それは、鏡の前で剃刀を研いでいた時とも、ひげを剃ろうとして頰を切ったときともいわれています。安価で使い捨てができる刃のついた剃刀、安全剃刀のアイデアです。自身使い捨てのびんの栓の発明で儲けていた雇い主のウィリアム・ペインターは、「一回きりの使用で捨ててしまうものを発明しろ。そうすれば客は何度も買いにくる」とアドバイスしていました。それにもぴったり合致します。
ジレットは即座に外へ飛び出し、材料を買いそろえて手製の安全剃刀第一号を作りましたが、製品化するには、刃の部分に硬さと柔らかさを併せもった鋼の薄板が必要でした。しかし、彼には鋼の知識などなく、鋼の専門家たちの経験を踏まえた意見は「不可能」でした。友人たちは彼のアイデアを冗談だと決めつけました。
この状況を打開したのが、発明家のニッカーソンです。技術的な諸問題は、ニッカーソンの具体的で細やかな協力を得て解決します。こうやって、一時はアメリカでシェア90パーセントを誇った安全剃刀ができあがります。ジレット自身は技術的訓練を受けていません。だからプロなら決してしないようなことを、素人的発想で突き進みました。それが成功への道を作ったといえます。その道の成功者からは抜本的発想が出にくく、新発想に失敗することが多いものです。だから「成功は失敗の母」であると言われるのです。
19世紀から20世紀にかけて、多くの科学者が画像送信に取り組みました。その中で、1925年に世界初のテレビジョン装置を発明したのが、イギリスの電気工学者ベアードです。ベアードの成功のヒントになったのは、実はある実験が失敗したというニュースです。1862年当時、イタリアの牧師アベ・カセリが電信線を通して通信文や図を送るという実験に取り組んでいます。フランスのナポレオン3世もこの取り組みを支援します。力を得たカセリはフランスに中継所を設置したものの、電線中の他の信号の干渉で画像がうまく作れず、この実験は失敗に終わってしまいました。
この結果を聞いたベアードは、電波を利用して遠くに画像を送るテレビジョン装置を思いつきます。そして、50年余、ベアード式円盤テレビジョン装置の開発に至りました。翌年、テレビジョン放送を開始したベアードですが、テレビジョンのシステムそのものは生き残れず、7年後アメリカRCAの開発したシステムがとって替わることになりました。
...
出典:「ひらめきの法則」 髙橋誠著(日経ビジネス人文庫)