「石の上にも3年」の意味
2015-10-26
人材コンサルタント城繁幸氏のベストセラーに、「若者はなぜ3年で辞めるのか」があります。その論理は、次のようでした。「成果主義と言われて久しいが、年功序列要素がまだ残っており、挑戦の機会さえ与えられず、年齢という軸で収入からポストまで一部の層が独占し、誰かを締め出してしまうシステムがおかしい。働いても、働いても、ただ働きに終わる可能性が高い。自分のことは自分で考えることがその防衛策で、将来の見通しの立たない会社は、速く見切りをつけられても仕方がない。」
エンジニアのキャリアプランの場合、筆者は、主体的にしている仕事(非定型業務)であるならば、3年が1つの区切りの期間であると考えています。商品開発などでは、3年も経験すると、あたかも1人前であるかのような態度を取り始めます。言い換えると、一通りの仕事のプロセスを経験し、なんとか仕事ができるぞと自信がつく時期が3年です。ただし、例外もあります。例えば、生産技術者の場合には、1人前になるには、ある程度の失敗経験を積みノウハウの習得をするため、5,6年の期間が必要とされます。また、ソフトウェア技術者の場合、常に最新のスキルを学び続けなければならいことは、周知の事実であると思います。一般的に言えば、通常の技術開発業務ならば、3年で自分の適性を見極められるということになります。
筆者の体験談を少しお話しします。30数年前ある電気メーカーの入社式での出来事でした。「本日入社されたみなさん、入社おめでとうございます。みなさんの中で、この会社が自分に合っていないと思った方は、すぐ辞めていただきたい。それがみなさんと会社の両者にとって幸せだと考えるからです。試傭期間の意味は、そういう意味です。」これが、盛田昭夫会長の祝辞でした。TRIZの40の発明原理のキーワードで表現すれば、次の2つに相当するかもしれません。問題が発生する前にその芽を摘んでおく「9 先取り反作用原理」、毒をもって毒を制する「22 災い転じて福となす原理」。その祝辞は、自分自身の職業観の目を覚まし、それから、何のために働くのかを深く考えさせました。後に、そのことは、キャリアカウンセラーになり、技術者の支援をしようと思ったキッカケの一つにもなっています。
通常の企業なら、3年間頑張ればキャリアとして認めてもらえます。35歳ぐらいまでに、3回程度失敗しても再チャレンジすることが普通の出来事となっています。一般的...
には、大学院も一つのキャリアとして考えてもらえるようです。筆者が10年間大学で教鞭を取って気がついたことは、次のように考えている学生が、数10%はいたということです。「皆が大学に入るから進学した。」「何をやっていいかわからないので、とりあえず大学院に進みたい。」実際に、これでは得るものが少なくなってしまうのではないでしょうか。なぜなら、22~28歳という時期は、創造性という能力が一番発揮できる時期だからです。例え不本意な仕事に就いてしまったとしても、石の上にも3年という諺通り、がむしゃらにチャレンジした方が、何かを掴めるチャンスは大きいと考えます。