新環境経営 CSR(その6)
2017-02-13
前回、日本とヨーロッパとアメリカのCSRの取組の違いについて概略を記述しました。CSRの生まれたヨーロッパの事情としては、ヨーロッパでは若者の雇用の問題等に国家だけでは対応ができないため、企業に失業対策を求め、それがCSRで、企業が法令を順守するのは当たり前で、(敢えてSocialを入れたのは)企業に法令順守を超えた社会の問題についても責任を負担して欲しいということです。日本では、未だに「法令順守がCSR(法令をきっちり守ることがCSR)」や、「本業こそCSR(本業をきっちりやって雇用で貢献することこそがCSR)」や、「社会貢献CSR(フィランソロピーなどの社会貢献活動がCSR)」等の議論で盛り上がっていますが、本家のCSRの意図は、企業の役割を超えて国家やグローバル社会の課題の解決に企業が踏み出すことを期待しているものです。
元々のヨーロッパのCSRは、国家だけでは担えなくなった雇用や人権の問題を企業にも担ってもらわなければならないとの位置づけで始まった。これに対して、日本ではあくまでも一企業としての立場や範囲でCSRが捉えられてきました。多くの移民を受け入れてきた多民族国家のヨーロッパやアメリカと、単一民族(長い時間をかけて混血となって日本列島に住む日本人)とは事情が異なります。このため、日本にCSRを導入する時に、得意の日本化がなされたためであると考えられます。世界では国連のグローバルコンパクト等で取り上げられている「雇用」や「人権」がCSRの中心となっています。
日本はこれまで、失業率も比較的低く格差が小さかったこともあって、一企業に法令順守を超えた社会問題としての「雇用」や「人権」についての負担を求める声が小さく、つい最近まで、誠実な経営(法令順守+広義のガバナンス)+アルファがCSRで、国家レベルの「人権」「雇用」に対する取組みが求められることはほとんどなかった。しかし、グローバル化の進展や金融危機により、日本でも非正規雇用の問題や所得格差の拡大が顕在化して国を上げて取り組むべき必緊の課題となってきました。CSRの国際標準であるISO26000が制定されたこともISO好きの日本で「雇用」や「人権」に取り組む上での追い風となっています。
グローバルコンパクト(世界への契約)は、経済のグローバル化の裏で進む自然破壊や格差拡大について、アナン前国連事務総長が世界の企業に対して「問題を引き起こすのではなく解決する役割を」と提唱して生まれま...
した(2000年)。グローバルコンパクトは企業が環境や人権、労働条件などに積極的な役割を果たすことを自主的に宣言するしくみで「人事」「労働基準」「開発」「腐敗防止」の4分野に10項目の原則があります。近年、市場経済が暴走してしまったとの認識が経営者に広まり、「企業の価値は業績や株価だけでなく、環境や貧困、労働などへの対応も含めて考えなければいけない」と考える経営者が世界で増えています。世界では既に7000を超える企業や団体が加入していますが、日本では未だ100 程度の企業や団体に留まっています。次回は教育現場でのCSRについて紹介します。