TRIZ によるロジカルアイデア創造法(その4)
2016-07-14
前回のその3に続いて解説します。
英語での“The Theory of Inventive Problem Solving”(直訳:発明的問題解決の理論)を意味するロシア語の頭文字をアルファベット表記して“TRIZトゥリーズ”となります。読み方は「トゥリーズ(Treeの複数形Treesと同じ発音)」です。
TRIZトゥリーズは、新規の発明だけでなく、製品の改善・改良にも役立つ手法です。実例で説明します。最近の白物家電、特に洗濯機の売れ行きが伸びています。その要因の一つが、機能改善です。今の洗濯機は、10年前の製品とは別物といえるほど性能が向上しています。
この洗濯機の機能改善の技術的な変遷、および問題解決への道筋を、TRIZトゥリーズで説明しましょう。洗濯機の目的機能(つまり、「はたらき」です)は、「衣類についた汚れを落とす」ことです。汚れを落とすために必要な物質(TRIZでは“作用体”といいます)は、水です。
つまり、「洗濯機はパルセータで起こす回転力を水に伝え、水を作用体として衣類についた汚れを落とすシステム」と言い換えることができます。雨はねなどの軽微な汚れであれば、これで何とか落とすことができそうですが、落としにくい汚れ(たとえば、油汚れなど)は難しそうですね。そのとき、これまでは技術者の経験と直感に基づいて解決策を考えていました。
しかし、TRIZトゥリーズの問題解決手法である「発明標準解(後ほど説明します)」は、「作用体の内部に添加物を入れることでその問題を解決できないかを考えなさい」と提案します。そうすると、「水の中に何か入れて汚れ落ちを強化できないか」と考え、洗剤(界面活性剤)を入れることを思いつきます。また、水に与える力(TRIZトゥリーズでは“場ば”と呼びます)の改善が可能だというのであれば、初期の洗濯機の回転力は1方向だけだったわけですから、これを回転力切り替え方式にすることが提案されるのです。
ここでの回転力の切り替えとはいろいろな意味を持っており、間欠運転、反転運転、強弱運転などがこれにあたります。これらは、TRIZトゥリーズの問題解決手法の「技術システム進化の法則(これも後ほど説明します)」で提案される解決の方向性です。
この技術システム進化の法則(トレンド)によれば、場の変更により「超音波洗浄」や「電解水洗浄」などのアイデアも出てくるでしょう。ここまでは、洗濯機の目的機能の強化(洗浄力アップ)に対するTRIZトゥリーズの適用についてみてきたのですが、洗濯機での問題はそれだけではありません。たとえば「洗浄力を上げるためにモーターの回転力を強くすると衣類が絡まってしまう」などがその例でしょう。
この場合は、「回転力強化による洗浄力改善(=有用作用)」と、「衣類が絡まる(=有害作用)」という矛盾(=対立)を克服しなければなりません。
この矛盾の解決手段としてTRIZトゥリーズは「分割原理」や「機械的振動原理」という「発明原理」を活用して問題解決ができませんかと提案してくれます。すると「パルセータ(洗濯槽のそこにある回転する部分)を複数にする仕組み」や、「絡み防止に洗濯槽を振動させる仕組み」などのアイデアが生まれてくるわけです。
こうした発想は、個人の恣意的な提案ではなく、膨大な特許分析の結果得られた知見を活用します。TRIZトゥリーズは膨大な特許をベースにして構築された「創造(発明)的問題解決の理論」です。
TRIZトゥリーズは膨大な特許をベースにして構築された「創造(発明)的問題解決の理論」です。その特許調査数は250万件にも及びます。その開発者がロシア生まれのゲンリック・アルトシュラー( Genrich Altsuller 1926~1998年)という人物です。
旧ソビエト連邦当時海軍の特許審査官だったアルトシュラーは、多くの特許に接する中で「発明にはある法則性が存在する事に気づき、それを体系化することで“誰でもが発明家になることができる”はずだ」と考えたのです。
TRIZトゥリーズ協会やスクールの設立を通じて、様々な手法の充実が図られていき、1956年から1985年までの29年間で基本的な理論が完成されました。
しかし、その後旧ソビエト連邦の経済的政治的な混乱により、TRIZの研究を継続する事が困難になると、1991年のペレストロイカによる社会主義国家ソビエト連邦の崩壊を受けて、アルトシュラーやその他多くの専門家が西側諸国へ移住しました。そこで初めて...
TRIZトゥリーズが西側諸国へ衝撃を持って紹介されることになるのです。一説には、研究開発の財力に劣る旧ソビエト連邦のルナ計画が、アメリカのアポロ計画と互角以上の成果を上げることができた背景には、TRIZトゥリーズによる組織としての問題解決能力の高さがあったからだともいわれています。
いずれにしても、そうして西側諸国に紹介されたTRIZトゥリーズは驚嘆の声を持って受け入れられ、ました。アメリカではコンピュータと結びつくことでTRIZトゥリーズの使いやすさを著しく向上させ、誰でもが容易に使える形になりました。
日本へは、1996年の日経メカニカル誌(現在の日経ものづくり)にて「超発明術:TRIZトゥリーズの実像」として紹介されたのが最初です。いくつかの先取的な企業では、それを受けてアメリカからソフトウエアを購入したり、実践が行われています。