1. 安全文化と技術者倫理
自動車業界のリコール問題ですが、このような問題は会社の経営基盤を脅かすこととなる可能性を秘めています。米国ではNHTSA(国家道路交通安全局)が安全文化の徹底を求める声明を出しており、ISOにおいても安全文化を取り入れた仕組みが構築されつつあります。このように国際的には安全文化を取り入ることが一般的になってきています。
日本においては、安全文化というと工場の労災の問題は重点的に対応されていますが、製品の安全や製品を用いることにより周辺の人々の安全を考えるところまで至っていないのが実情です。安全文化の根底には技術者倫理が存在します。この関係を含めて安全文化に関して説明いたします。
2. 安全文化の必要性
安全文化とは安全を優先した製品製造の基礎的な倫理とそれを基盤とした体制を言います。目的は、安全な製品を出すことになります。
『現状でも十分に品質が高い製品を作っているのに、なぜ安全文化が必要であるか?』という疑問が発生すると思います。その疑問は『品質』と『安全』が同一のものであるとの日本の考え方が根底にあるからです。確かに『品質』が高い製品は『安全』性が高いものが多いということは言えますが、『品質』と『安全』は異なるものです。米国の国家道路交通安全局の局長であるマーク・ローズカインド氏は、「あなたの自動車の価格で安全が決定されるべきではない。」と述べているように、『品質』は価格と相関を持っていますが、『安全』は価格と相関があってはいけないものになります。このような『安全』を維持するために必要な文化が『安全文化』になります。
安全文化が構築されて従業員全員が安全に対する意識を持つことにより、指示者が故意または過失で安全に反する指示を行ったとしても、その間違いが正されて、作業中の事故や製品による重大な事故を防ぐことになります。
3. 安全文化の構築
安全文化を構築するに、以下の4点が重要になります。
・ 安全に対しての『正義』の徹底
・ 報告の徹底
・ 問題事例学習の徹底
・ 安全を第一義とした柔軟な対応の徹底
これらを実現するために、『技術者倫理の教育』、『安全文化に向けた体制構築』、および『安全文化の継続教育』が必要となってきます。これらについて個別に記載いたします。
3.1. 技術者倫理の教育
これは、『安全に対しての正義の徹底』のために実施します。なぜ、必要かというと、技術者倫理は安全文化の基礎になる倫理観だからです。『安全に対しての正義の徹底』といっても『正義』は宗教・民族・集団・個人によって異なるものになります。なので、技術者として守るべき最低限度の『正義』を徹底することが必要になります。これが技術者倫理になります。
技術者倫理とは、『現代技術は社会実験である。』との前提から、社会実験の被験者である一般人の人権をどのように守っていくかを考えた倫理です。主要な柱は、『公益の確保』と『説明責任(インフォームドコンセント)』からなっています。
『公益の確保』とは、社会実験であるところの現代技術によって社会の利益を損なうことが無いように対応することです。つまり、人が死亡事故やけがをすることが無いようにしたり、環境を破壊したりしないようにすることです。『説明責任(インフォームドコンセント)』は社会実験の被験者たる一般人に対して技術を説明して納得を得たうえで実施するということになります。これは技術の導入時のみではなく、製品で問題を起こした場合には、それについての説明責任が求められることになります。また、近年制定されている国際規格において、技術者倫理の概念が基本哲学として用いられており、この概念の上に規格が制定されています。輸出先でのリコール問題に発展させないためにも必要な概念です。
3.2. 安全文化に向けた体制構築
次に、「報告の徹底」と「安全を第一義とした柔軟な対応の徹底」のために、安全文化に向けた体制構築が必要です。まず、「報告の徹底」のために安全上の問題をエスカレーションする業務上とは異なるルートを作成する必要があります。できたら、このルートは安全上の問題だけを担当する別ルートである方がベストです。別ルートとの意味は、業務を執行しているルートと異なるルートとすることです。なぜそうするかというと、業務執行の責任者は業務の予定どおりの執行や製品の安全問題に関して責任がありますので、そこを通しての報告の場合には隠ぺいが行われる可能性があるからです。この別ルートは社内で構築することもできますが、外部の技術に精通した技術者を入れることの方がベストです。これによって、第三者の視点で安全問題を確認するセカンドオピニオンの意味を持たせることできますので、消費者に対して安全設計を説明するうえでも役立ちます。
3.3. 安全文化の継続教育
安全文化の体制が出来上がったとしても、その体制を根付かせていかなければいけません。そのために必要なのが継続的教育になります。新入社員に対しては、上記の「技術者倫理教育」を実行することにより、「正義」の共有をします。そのうえで、継続して社内外で発生した事例を基に「原因」と「結果」及び「対策」を共有することにより、同様な問題発生を抑制していかなければいけません。この活動は、会社法に基づく監査制度による「法令準拠」・「会計監査」や労働安全衛生法に基づく「教育・訓練」と同等に、「製品の安全」を保つために継続的に進めていかなければなりません。
4. 安全文化欠如の事例
最後として、このような文化がなかったために起きた問題について説明します。まず、『タカタのエアバッグリコール』の問題を取り上げます。これは様々な問題が含まれていますが、問題を大きくしたのは『説明責任』も問題であるといえます。一番の問題は、米国議会の公聴会で特定できていない原因を強硬に言い張り正しい報告をしなかったことです。そのために『信用できない会社』のレッテルを張られてしまいました。このように『説明責任』を全うできない会社は信用を失うことになります。
次は、『マンションのくい打ち不良』の問題です。これは根本的な倫理...
観の欠如が問題になっています。多数発覚したくい打ち不良ですが、この工事を担当した人間に罪悪感はほとんどないと思われます。これらの人たちは作業を終わらせることに責任を持っているとは考えていましたが、『公益の確保』する責務があるとは感じていなかったと思われます。つまり、どのように仕組みを直したとしても『公益の確保』を自覚しなければ、この問題の解決しがたいということになります。
最後は、『燃費不正』の問題になります。三菱自動車とスズキ自動車が軽乗用車の燃費計測の基礎データを不正に申告していた問題です。これは、『問題のエスカレーションの仕組み』ができていなかったためにです。問題意識を持った社員がいたにもかかわらず、その問題が会社全体で共有されることが無いままに握りつぶされていました。業務執行の責任者たちによって問題が握りつぶされた結果です。この問題は、取締役会まで執行部署とは別ルートで上げる仕組みがあれば防げた事態と言えます。このように、安全文化を構築することが、これからの会社においては必要となってきています。
参考文献
・Roland Schinzinger & Mike W. Martin著 西原秀晃監訳「工学倫理入門」丸善株式会社
・Caroline Whiteback著 札野順・飯野弘之共訳「技術者倫理」株式会社みすず書房
・中野昇著「技術者倫理の基礎知識」Kindleダイレクトパブリッシング
・中野技術士事務所のBLOG http://media.nakano-pe.jp