◆なぜ、日本の現場で問題が多発しているのか、前回のその3に続いて解説します。
5. そんな専門家ならもういらない
(1) 要素還元主義という悪魔-専門分野のさらなる掘り下げ
多くの場合、専門家がその専門性を追求するため、対象とする要素をばらばらに分割し、それぞれを詳細に深掘りする方法を採用してきました。「どんどん細分化し、さらに掘り下げた後で、再度組み立てると全体像となる」という姿を目指し、さまざまな取り組みが行なわれてきました。ところが、細分化し、バラバラにした個の要素を、後でつなげると元に戻らないだけでなく、全体像が変わってしまうという現象が起きてしまったのです。
経年変化、あるいは、掘り下げ、細分化した断片や核がそれぞれ複雑になり、多様化すると新しい特性を生んでしまうなど、さまざまな要因により、元に戻らないのみならず期待する姿にならないのです。この捉え方を「要素還元主義」とここでは呼びます。
「全体」では持っていたはずの特性が、分類されることによって消滅してしまうことがあります。専門化された分野の専門家が集まると、なぜか全体の構成がうまくいかなくなるのは、このことと同様です。全体観を持だない要素還元主義からは「未来予測」「未来観測」は難しいでしょう。
たとえば、接客サービス。一人ひとりがいくら素晴らしくても、分業化では属人的要素が加わるために、全体で捉えると、サービスがバラバラになりかねません。個の部分が良ければ、相対的に他の個が見劣りするのは世の道理です。顧客からすると、その個と個の隙間が気になる場合も多く、分業された取り組み、システムでは隙間をカバーできていないから顧客不満を招く結果となります。
【外食産業でよくあるパターン】
① 笑顔で出迎える人
② 席まで案内する人
③ 注文を取りに来る人
④ 料理をテーブルまで運ぶ人
⑤ 途中の注文や要望を聞く人
⑥ 器を下げる人
⑦ テーブルの後片付けをする人
⑧ レジで支払いを受ける人
などの分業の場合、顧客はこれら8人ないしは8通りの別々の担当者に直面することになりますが、その隙間や間を埋めるのは顧客であり、店側ではないことが問題なのです。そればかりか、「注文がお決まりになりましたら、このベルを押してください」と顧客に作業をさせる店も増えていますが、これは顧客による店へのサービスではないでしょうか。
今どきの顧客は、特別に金額が安ければ「仕方ない」と思う場合もあるでしょうが、金額はいずれも大同小異、あまり差がない場合、そこに不満が生じるのです。おそらく日本においては、ほぼ100%の顧客が「餓死寸前なので生き延びるためにレストランに行く」ことはないく、しかも一人で行くケースは少なく、会話が目的の食事に出かけることが多いでしょう。
ですから、会話を中断するような料理の説明や、「器を下げていいですか」といった会話の最中の呼びかけは煩わしくて不愉快に感じるのです。「これでよくサービス業といえる」という思いが顧客にあふれてしまいます。
店内での時間が過ぎるにしたがって、次第に「食事」が「無機質な飲食」に変わり、極端な表現をすれば「餌」を食べさせられている気分に陥ることになるのです。器を下げるときに、皿の上に残っている食べ残しを顧客の目の前で一皿に集める行為に至っては、今まで食べていたものが「生ゴミ」と思えるようになるといっても言い過ぎではないのではないでしょう。
つまり、個々の動作はマニュアルで決められた動作であったとしても、これを受ける顧客側は全体として、「ひどいサービス」「もう、二度と来たくない店」という恪印を押すことになります。
家族の一家団槃や、久しぶりの友人との再会、商談、デートなどは会話が重要ですが、その会話には快適で幸せ感の伴った満足が必要ですが、店側の個々の動作がこれらの大半を壊してしまうのです。顧客は施設、快適な空間、おいしい食事、心配りのサービ...
ス、システム、そして人的要素のシームレス化、融合された全体を評価する対象として捉えるのです。
顧客は「餌」や「生ゴミ」を食べに行くのではなく、あくまでも「満足」や「幸せ感」を求めに行っているのです。いくら良い食材を提供しても、分業化、モジュール化、無機質、機械的作業は、顧客に「二度と来ないでほしい」と言っているのと同様です。
経営者の理念、哲学がまるで見えない、感じられない店が多いのは残念であり、食品業界は大きな転機を迎えているでしょう。
これをいち早く察知した中国の外食産業に携わる経営者が日本の事情を視察に来て、CS(顧客満足)やCSM(顧客満足経営)ならびにクレームの原因や対応を学んで帰っていく姿とは対照的です。
次回は、(2) IoTで明るい未来は拓けるか、から続けます。
【出典】 武田哲男 著 なぜ、あの企業の「顧客満足」は、すごいのか PHP研究所発行
筆者のご承諾により、抜粋を連載