◆技術力で勝る海外勢が、なぜ、日本の「おもてなし」に負けるのか。
1. 「日本流おもてなし文化」は武器になる
(3) 高い教養が想像力を生む
姿のない神、目に見えない神、それは、コンピュータのようにゼロかイチかで明確に分離する発想よりも、中庸、真ん中、曖昧、「まあ、まあ」「両方とも」という、どちらでもない、双方ともいった捉え方につながります。日本独特の発想といってもいいでしょう。そのため、日本は戦争には向かない国であると私は考えています。戦争は、ゼロかイチか、つまり勝負に決着が伴うものだからです。
もちろん、欧米式の知識、技術、スキル、テクニックを身につけることは大切です。ただ、その分野もコモディティ化してきました。そして、まだまだ、機械は想定外のトラブルに対応できないし、応急処置もできないのです。コンピュータにも、人間以上に気を利かすことなどできるわけがありません。IoTなどの分野もまだまだ判断を伴う人工頭脳までは組み込まれていないから、早晩コモディティ化につながりかねないでしょう。
ところが残念なことだが、現在は人間もまた、「気づき」「気くばり」「気づかい」の3つの”気”と、「臨機応変」「機転を利かす」という2つの”資質”が「大幅に不足している」というのが、当社の調査結果に表れています。それでも、海外のレベルに比べれば、まだまだ優位性があり、今のうちに磨きを掛ければ、差別化は十分可能でしょう。
この3つの。”気”と2つの。”資質”は、とくに製品(商品)開発、サービス開発において大きな力を発揮するのです。「教養が高い人のほうがより高い創造力を有している」というのは、すでに記したとおりで、脳科学の分野でも語られていることです。しかも、「日本流おもてなし文化」の伴った教養は、海外では真似のできないモノとサービスを生むのです。なぜなら、日本文化は、日本で醸成されたものであり、日本人にしか体現、実行できない要素だからです。
(4) 西洋のホスピタリティを知る
【ホスピタリティ】
「ホスピタリティ=おもてなし」と定義している人がいるが、ある部分、とくに過去においては適切であったのですが、全体的には必ずしも現在はイコールでありません。そもそもホスピタリティは、ラテン語のホスペスに端を発しますが、その根源は中世のヨーロッパに遡るといわれています。
滅多に人に会うことのなかった時代、人々は初めて姿を見せた人を神と崇め、歓待しました。その後、次第に巡礼者が各地を巡るようになり、また十字軍が活躍するようになり、以前に比べ、人々が、他の人々と出会う回数は飛躍的に増加しました。たとえば、巡礼中に食物が不足してひもじくなる人、病に冒され行き倒れとなる人が現れるようになり、彼らを自分の家(館)に招き入れ、時に食物を提供し、病の手当を行ない、戦で傷ついた人の治療を行なうようになります。これが、ホスピタリティの起源です。病に感染することもあったし、時に家族が襲われ命を失うこともあり、敵兵をかくまったとして殺されるようなこともあったでしょう。
それにもかかわらず誠心誠意の対応を行なったのは、神に対する真摯な心があったからでしょう。こうした心や対応を当時は、ホスペスといっていたのです。後にホスピタリ...
ティに変化した表現ですが、この時代のホスピタリティは、日本の「おもてなし」とかなり近いものであり、あるいはイコールといってよいでしょう。
しかし、巡礼者をはじめとして、人々の行き来が頻繁になるにしがたって、人を泊めることが「ホテル」ビジネスになり、病の治療をする行為が「ホスピタル(病院)」となっていくのです。ホスピタリティがビジネスに変化した瞬間です。
日本のおもてなしは、あくまで「心の問題」であり、ビジネス用語ではないところが、現在のホスピタリティとは異なる点であると私は捉えています。
次回は、(4) 西洋のホスピタリティを知るを解説を続けます。
【出典】 武田哲男 著 なぜ、あの企業の「顧客満足」は、すごいのか PHP研究所発行
筆者のご承諾により、抜粋を連載