力学、流体力学、電磁気学、光学、熱力学、統計力学、量子力学…、さらには遺伝子工学まで、多くの数学公式が現れ、その数値解法の詳細が述べられています。本現場数学シリーズでもこの後、多くの公式が登場しますが、今回はその「公式」についてお話いたします。
1. 科学とは意味論の捨象
公式とは、大辞林によれば
- おおやけに決められている方式や形式。またそれにのっとって物事を行うこと
- 計算の方法や法則を示すために文字を用いて表した式
…とされています。
もちろん②の方のお話をしているのですが、それにしても「文字を用いて表した式」という表現は我々の認識よりは大分広い感じがします。科学や工学の研究者や現場で仕事をしている技術者の認識は「ものごとを文章で書いていたのでは任意性が避けられないため、記号をもって数式化して表現すること」でしょう。そもそも「科学とは意味論の捨象である」という人もいる位で、複数の概念を記号化してそれらの関係を数式で表し、その数式を「数学的に操作する」ことによって、より複雑な事象を任意性なしに解析・理解しようとするのが科学的な方法論であることは確かです。
2. 地上から宇宙まで~無重力下で熱対流!?
我々の知っている公式は、どれ程の精度で正しいのでしょうか?古典力学のニュートン方程式は、スペースシャトルの運行を確実に表現できています。しかし、それが時速3万キロメートルで飛んでいるとかいっても、まだまだ大した速さではないため、古典力学で十分なのです。
ところが、光速に近い速度で移動する物体に対しては相対性理論を適用する必要があります。ニュートンが古典力学を構築した時には、光に近い速さで移動する物体などは予想外でした。それが電子などになると、ほぼ光速で移動し続けていて、どんなに加速しても光速以上の速さにはならないことが分かりました。カーナビゲーターは複数の人工衛星からの電波信号を使って自分の位置を数十センチメートルの精度で確定しますが、このレベルになると量子力学の対象物ではなくとも相対性理論が効いてきます。
流体力学では、ナビエ・ストークスの方程式が使われます。熱対流などが複雑な渦を含めて正しく記述できる優れた方程式です。しかし、実際の数値解法では、多くの近似を用いています。特に有名な話として、スペースシャトルでは無重力に近いので熱対流が起こらないはずであると考え、2種類の元素を溶かして完全な2元系結晶を作れるはずであると信じて実験をしました。ところが、無重力ではあっても温度差があるため、地上実験では発生しなかったマランゴニ対流が起こったのです。事前に確実な数値シミュレーションが行われなかったのが原因なのですが、人間の理解には限度があります。私の研究室では世界に先駆けてマランゴニ対流を含む流体力学のプログラムを開発しました。その後、多くの市販のプログラムに取り入れられる様になりました。
3. 量子力学解法プログラムを扱う際の注意点
最近のナノテクブームで、多くの市販の量子力学解法プログラムが使われるようになりました。しかし、多体の電子系に対して大胆な近似を行っていることを忘れてはいけません。まず、電子は原子核に比べて極めて軽いということを使って断熱近似(原子核が運動しても、電子の波動関数は基底状態にあるとするボルン・オッペンハイマーの近似)が仮定されますが、水素原子の場合では、その比は2000分の1もありません。さらに、現在の標準の局所密度近似では、ファンデルワールス力が表現できません。それはファンデルワールス力は2つの物体間でお互いに双極子励起しあって発生する力だからです。市販のプログラムでは交換相関相互作用の一部にパラメータを使って現象論的に取り込んでいますが、我々は物理的に正しい方法での算定を可能としました。
4. 常に不完全性が伴う数値計算
遺伝子の科学的理解も困難を伴います。ATGCと呼ばれる4種類の各30個程度の原子からなる単位の順序が遺伝情報を決めている、ということはどこまで正しいのでしょうか?意味のない部...
このように、人間の理解には限度があります。単純な例を挙げれば、天気予報は基本的に地表のデータ(アメダスとかは全て地表でのデータを集積しているだけで、3次元空間の精密なメッシュデータは観測されていない)のみを用いて、3次元空間の気象予測をしようとしている(最後は地表での予測を発表)ので、実に困難な業務であることが理解できます。我々が現場で扱う公式は、ある条件下で成り立つだけで完全なものではないことと、必要な入力データが必ずしも高精度で与えられるわけではないことの2点から、数値計算には常に不完全性が伴います。その危なさを克服することも我々の楽しみなのです。