◆それでも無くならない物流
日本では物流に対する学問体系もしっかりし、物流に対する認識がそれほど高くないことは皆さんもお気づきのことでしょう。大学で物流を学びたいという意思のある学生もあまり聞いたことがありません。物流学科を卒業しても物流事業に就く学生はほとんどいないと聞いています。
会社の中にあっても物流部門が無いか、あったとしてもその地位は低いと言わざるを得ません。会社によっては他の部門で使えない人を物流に回すという話さえ存在するのです。物流にずっと携わってきた者にとっては忸怩たるものがあると思います。経済を支えている重要な機能である物流の認知度が低い理由は何でしょうか。
昔から日本ではサービスはタダだという認識が強すぎる気がします。ものを頼めば自動的に届くと思っている人がたくさんいらっしゃいます。しかもそれに対して対価を支払うという認識も薄い場合があります。これは最近の通信販売での「配送料無料」も影響しているものと思われます。
インターネットが大きく社会を変化させました。情報はあっという間に相手に伝えることが可能になりました。欲しい情報も瞬時に調べることができるようにもなりました。しかし「もの」は物理的に運ばなければなりません。それを物理的に保管しておく場所も必要です。時間が経つと「もの」は劣化することが多いので品質管理も必要になります。私たちがいま目にしている「もの」はこのような物流機能があってこそ存在するのです。
物流も人知れずに進化しつつあります。たとえばリードタイム短縮が挙げられます。通信販売でものを購入すれば翌日には自宅に届けられます。離れた場所に住む知人に対して何かを送る場合でも2日程度で届けることが可能です。つまり多くの人が物流の進化の恩恵を被っているわけです。
このありがたみが今一つピンとこないかもしれません。しかし震災の時のように一度サプライチェーンが途切れると皆さんのもとにものが届かないことになります。こういった状況になって初めて物流のありがたみを実感できるのかもしれません...
物流の地位が向上しなければ良い人財も集まりません。魅力ある仕事だという認識を持ってもらえないからです。では物流の当事者はこの状況について手をこまねいて放置していて良いのでしょうか。
次回に続きます。