4大公害病―水俣病:新環境経営(その2)
2017-01-31
水俣病、第二水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそくは四大公害病とされ、日本における高度経済成長の影の面となりました。一方、国外でも、1970年代前後に中国の吉林省から黒竜江省にかけての松花江流域で、メチル水銀および無機水銀による土壌汚染が明らかになりました。1990年代になってアマゾン川流域でも水銀による住民の健康被害が確認されました。このほか、五大湖に面するカナダオンタリオ州グラッシイナロウズ、ホワイトドッグの地区などでも有機水銀中毒が報告されています。フィリピンミンダナオ島、アマゾン川流域などの金鉱山下流の健康被害は金採鉱で利用した金属水銀が環境中に放出され、一部は有機水銀に変化し魚介類にも蓄積されていることが明らかになっています。(以上、ウィキペディアより)
現行の水俣病被害者救済法に基づく救済策は、感覚障害がある人に一時金や医療費を支給する仕組みです。救済を受けるには認定申請の取り下げが条件です。認定患者に1600円~1800万円の補償金となっていますが、その認定基準は厳しく感覚障害などの複数の組み合わせが必要とされます。このため、これまでに行政が水俣病と認めたのは3000人にすぎません。これを不満として認定を求める訴訟が後を絶たないのです。1973年の訴訟では「公序良俗に違反し、無効」として退けられたというような、到底受け入れられる判決ではないため訴訟は続きました。政府は1995年に、認定申請取り下げを条件に解決金260万円で政治決着を図っりました。ところが、2004年 に最高裁判決がでて事態は一変、感覚障害だけでも患者と認め、幅広く救済すべきの判断でした。これを受けて認定制度は揺らいだのです。そこで2010年 、政府は第2の政治決着として認定申請の取り下げを条件に一時金210万円を支払い、2012年7月末で申請を打ち切りました。以上がこれまでの経緯ですが現在も訴訟は続いており、最高裁の判断待ちの状態であることから申請の打ち切りは時期尚早の意見があります。国としては全面和解を受けて早く幕引きをしたいところですが、差別や偏見を恐れて名乗り出ない人がいるのが現実です。
公害被害者の方々の粘り強い取組みと行政も司法にも多くの叡智が集められ、救済のための取組みが行われてきました。しかし半世紀を過ぎても解決には至りません。その間にも多くの方が無念の命を落とされています。まことに理不尽なことです。過去に環境省主催で水俣病の教訓を次世代に伝えるセミナーがあり、水俣病の語り部の方々の講演を聞く機会がありました。被害者である語り部の方々は控えめで、自分を責めている姿が痛々しく、一方でJNC株式会社(チッソから事業を引き継ぎ2011年4月営業開始)の常務の話からは「心から申し訳けない」といった雰囲気は伝わってきませんでした。自分が経営している時代に起こした訳では...
なくとも、経営に携わる者の心構えが問われているのです。
原因企業のチッソは責任が明らかになってからも追加補償を認めない誓約書を書かせたということです。どこまで腐っているのかと憤りたくなりますが、一方でチッソがつぶれて仕事がなくなって困る人もいて、地元住民同士が反目していた現実もあるようです。現在、水俣市は「もやい直し」で住民の絆を深め、疲弊した経済の立て直しに取組み、日本有数の環境先進地としてイメージチェンジに成功しています。人間のすることに完璧はなく、予期できない事態はいつの時代でもありうるのですが、細心の注意を払って未然防止に努めることが経営者の責務であり、起こしてしまった後は、真摯に原因究明と対策に努めることが重要です。正にリスクマネジメントの実践です。
次回以降、他の公害の歴史についても振り返ります。