◆ 人生を決めるポジティブ感情と3:1の法則
前回は、モチベーション(この連載では内発的動機づけによるやる気と考えてください)を上げて維持するための要素のひとつである、自律性についてお話ししました。自律性が高いということは他人や出来事に左右されないことが大切で、そのためには、気分が良い状態、機嫌が良い状態を意識的に作ることが大切だということをお伝えしました。
さらに、気分や機嫌を作っている感情についてもお話ししました。人はネガティブ感情を優先させる仕組みを脳に持っているので、そもそもネガティブなものに引きつけられやすく、ネガティブ感情をなくすことはできないということ(ネガティビティ・バイアス)をお伝えしました。ただ、自律性、そして、モチベーションのためにはネガティブ感情を最低限度に抑えることが大切で、そのためには「90秒ルール」が大切だという内容でした。忘れないでくださいね。さて今回は、もう一方の「ポジティブ感情」について話をしたいと思います。
ポジティブ感情には、楽しさから生まれる高揚感や喜び、満足感や充実感からもたらされる心の平穏や安定、それに興味や好奇心、愛情や感謝などが含まれます。経験的に、ポジティブ感情がモチベーションやパフォーマンスに強く関係していることは、誰もがわかっていることではないでしょうか。新しい回路やソフトに取り組んでいるときのワクワク感は集中と効率を高めるし、人からの感謝や評価はさらなるがんばりを生みます。似たような経験、ありませんか?
実験や研究により、ポジティブ感情には、個人の注意力、認識力、行動力の幅を拡げ、寿命に代表される身体的資源や、年収などの社会的資源を増大させる効果があることが明らかになっています。ポジティブ感情はモチベーションを高めることはもちろん、様々な能力を高め、結果的に寿命や年収にまで影響を与えるのです。このような研究の集大成が、心理学者のフレドリクソンが 1998 年に発表した「拡張-形成理論 (Broaden-and-build theory)」です。「ポジティブな人だけがうまくいく3:1の法則」(高橋由紀子訳、日本実業出版社、2010年)に詳しいのですが、概要を紹介しましょう。
この理論によれば、ネガティブ感情はそのときに何ができるのかと思考の範囲を狭くするのに対して、ポジティブ感情は私たちの注意・認知・行動を「拡張」し、この拡張によって心と精神が解放され受容性と創造性が高まり、身体的・知的・心理的・社会的リソースを「形成」します。
たとえば、喜びというポジティブ感情は、行動を「拡張」し遊び心と創造性を駆り立てます。そして、創造的な遊びは発明や挑戦を促し、その結果、手先を器用に使う力などの身体的リソースを「形成」します。好奇心というポジティブ感情は、注意や認知を「拡張」し探検や学習などの行動を促します。その結果、知識を高める学習力などの知的リソースを「形成」します。また、安らぎというポジティブ感情は、今の状態をじっくり味わい、その状態を自分の中に取り込んで新しい自分と世界を発見したいという気持ちを生み、その結果、モチベーションという心理的リソースを「形成」します。
さらに、ネガティブ感情とポジティブ感情は対立する概念ではなく時間尺度が違うだけだと指摘しています。ネガティブ感情は、危機に望んだときに思考を狭め、それによって生存の可能性を高めるという、短期スパンで有効な感情です。一方、ポジティブ感情は、思考や視野を拡張することで長期にわたってリソース形成を促し、その新しく形成されたリソースは、次に出会う危機に対処できるよう、長い時間をかけてよりよい変化を起こさせるという、長期スパンで有効な感情です。ポジティブ感情は進化を司っており、私たちを成長させてくれるのです。
フレドリクソンは著書の中で、代表的な10個のポジティブ感情についてもまとめていますので、紹介します。
喜び (Joy):期待以上にうまくいっている時にあらわれる感情。
感謝 (Gratitude):与えられた何かについてその価値を認めている時にあらわれる感情。
安らぎ (Serenity):今の瞬間の感覚に意識が集中し、これをゆっくり味わっていたい、もっとこういう感覚を味わいたいという感情。
興味 (Interest):安全な状態で新しい物事に感心を抱き、謎を突き止めたい気持ちに突き動かされているという感情。
希望 (Hope):物事がうまくいっていない状態や絶望的な状況の中で、最悪の事態を逃れながら、より よい状態を望む感情。
誇り (Pride):自分の努力と能力を投じて、何かがうまくできた時にあらわれる感情。
愉快 (Amusement):驚き、不調和から引き出された笑い。思いもしないことが起きて笑ってしまう状態。
鼓舞 (Inspiration):奮い立つような感情がわいて意識はくぎ付けになり、心が熱くなる状態。
畏敬 (Awe):自分が何か偉大なものの一部であると感じる状態。
愛情 (Love):前述の9つのポジティブ感情のすべてを含んでおり、その上に位置する感情。
「愛情」は別格で、すべてのポジティブ感情の源になっています。やはりそうなのか、という感じですね。愛情を持つことが基本です。
ポジティブ感情はポジティブな好循環を生み出し、友人関係や夫婦関係が良好になる、収入が高くなる、寿命が長くなる、忍耐力が強くなるなどの効果をもたらすこともわかっています。
これらの効果は、調査や実験によって...
確かめられているのですが、読み物にもなっている有名なものに、デヴィッド・スノウドンの「100歳の美しい脳―アルツハイマー病解明に手をさしのべた修道女たち」(藤井留美訳、DHC、2004年)があります。これは、678人の修道女の人生と脳について長期間、かつ、多岐にわたって追跡調査したものです。アルツハイマーの解明に多大な貢献をした研究結果としても有名な本です。
修道女の多くは 17-18才で修道院に入るのですが、そのときに今までどのような生き方をしたのかという手紙を書かされます。その後、彼女たちは、食事などの生活環境がほぼ同じ状況下で一生過ごすので、調査・研究対象として貴重な存在です。
この研究は、修道女になるときの手紙を様々な観点で分析し、その後、修道女が老人となるまでの人生との関係を調査したものですが、そこでわかったことのひとつが、ポジティブな感情が多いほど長生きするということです。統計的に7年の差があったといっています。こんなにも差があるとは驚きです。
次回も、「3:1の法則」の解説を続けます。