しつこく繰り返して、発見や発明を生んだ事例2-送り台つき旋盤、電信システム-

1.天文学の科学的知識を背景に、送り台つき旋盤を発明した、イギリスの技術者 ヘンリー・モーズリ

 
 1797年にヘンリー・モーズリが発明した送り台つき旋盤は、19世紀の工業の発展に貢献しただけでなく、多種多様な現代の旋盤の原型にもなっています。12歳で働きはじめたモーズリは、15歳で鍛冶屋の徒弟となり、19歳のときにはすでに、その発明の才を認められていました。技術家・発明家のブラマはその評判を耳にし、鍵をつくる機械を考案するために彼の助力を求めた。モーズリは、ブラマのもとで働きながらも、送り台つき旋盤の発明に取り組み、その後独立して自分の工場を持つより前に、それを完成させていました。実践の人の印象が強いモーズリだが、彼には趣味で培った科学的知識の裏打ちがあり、送り台つき旋盤の発明も彼の趣味の天文学用の望遠鏡を製作することがヒントだったようです。
 

2.科学を学ばなかったのに、好奇心と空想力で電信システムを発案した、イギリスの学者 ホイートストン/アメリカの画家 モールス

 
 1800年、ボルタ電池が発明されました。電気を生産、貯蔵する最初の電池だ。これで何ができるようになるのか、当時の科学者たちにとっては、興味のつきない玩具を与えられたようなものでした。電信も、ボルタ電池の発見をきっかけに、科学者たちの遊びから考案されました。とはいえ、初期の電信システムはお粗末なもので、商業的に使用できるまでにはずいぶん時間がかかり、その役を果たしたのも、純粋な科学の徒というよりむしろ、科学的思考を楽しむ人たちでした。
 
 その一人チャールズ・ホイートストンは、正規の科学教育はまったく受けていませんが、科学への非常に強い関心から音響学などについて論文を書き、ついにはロンドン大学実験動物学の教授となりました。彼はそこで電気の伝播速度についての実験を始め、さらにドイツで電信システムを建設したクックと共同で、実用的なシステムを開発しました。これはイギリスで採用され、特許を得ます。
 
 また、「モールス信号」の名で馴染みのあるモールスにしても本業は画家です。絵画の修業に行ったパリで電信のことを耳にして興味を持ち、帰国の船上で独自のシステムを着想し、後にはワシントン―ボルティモア間の通信に成功するのです。海底電信の研究も手掛けましたが、モールスの電気の知識は、大学でわずかに講義を聞いた程度でした。
 
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                   出典:「ひらめきの法則」 髙橋誠著(日経ビジネス人文庫)

◆関連解説『アイデア発想法とは』

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