4大公害病―四日市ぜんそく:新環境経営(その4)
2017-02-06
新環境経営への取組みについての話題を提供するに当たり、最初にこれまでの経済成長に邁進してきた中で発生した公害について振り返っています。水俣病(前々回)、イタイイタイ病(前回)、四日市ぜんそく(今回)です。
1962年にばい煙規制法が制定され、石炭の燃焼による煤塵(ばいじん)の規制には効果を発揮しました。しかし主要な使用燃料が石炭から石油に移行すると硫黄酸化物の排出量が増え、1968年にばい煙規制法を根本的に見直し制定されたのが大気汚染防止法です。ところが、大気汚染防止法においても大気汚染の改善は見られず深刻な公害問題に発展しました。1970年の公害国会で公害関係法令の抜本的整備が行われました。この時の大気汚染防止法の大幅な改正が現在の原型となっています。又、2004年には浮遊粒子状物質(SPM)及び光化学オキシダントによる大気汚染の防止を図るため、揮発性有機化合物(VOC)を規制するための改正が行われました。この様に大気汚染による公害は、これまでに紹介してきた「水俣病」や「イタイイタイ病」のような特定の物質による公害とは異なり、大気を汚染する物質が次々と入れ替わり、その都度、規制を追加して対応してきました。その過程の中に「四日市ぜんそく」があります。
狭い国土に、1次エネルギーを2次エネルギーに転嫁する工場を無理やり詰め込んで、人の健康よりも経済成長が優先の時代でした。産業界は経済優先のスタンスで、厳しい規制を先送りにする圧力団体として機能してきた側面があります。又、住民は日々の生活に忙しく、法整備に積極的に関わる人は少なく、更に、日本人は国や行政に対して過度に従順な側面があり、日本の公害は、日本人の国民性と深く繋がっていました。結局、大規模で悲惨な事件として社会問題化するまでは手が打てないのが日本の公害問題の歴史です。
「公害」が日本人の国民性に深く根ざした問題である一方、公害との闘いの結果、現在は四日市市のみならず全国各地で空気も水も確実にきれいになってきています。佐渡には朱鷺が戻ってきました。あの東京湾も40年前と比べると格段にきれいになってきています。ひたむきに改善に取り組む真面目な国民性がなし得た偉大な成果です。
今、地球規模で問題となっている温暖化も、そもそ...
もは化石燃料を燃やして温暖化効果ガスの二酸化炭素を「大量に垂れ流している」ことが一因です。この問題に対し、COP10:名古屋では日本が持続可能社会の有り方としての「里山モデル」が提唱されて、多くの新興国の支持を得て里山イニシャティブとして採択された歴史もあります。
このように悲惨な公害との闘いを乗り越えてきた日本は、その経験と、元々育んできた里山の考え方を世界に拡げ、持続可能社会に向けて世界をリードしていく使命があります。21世紀の今はあらゆる面で時代の大転換期、世界から日本の貢献が期待されています。
公害についての振り返りは今回で終了し、次回からCSRの歴史を振り返ります。