工場改善事例:工程改善・作業指導書
2018-04-06
これは、日本国内の金属加工をしている中小製造業の工場の事例です。この工場のある加工工程では、昼班が2人、夜班が1人で作業していました。不景気によるリストラをきっかけとして各工程への作業者の割り振りの見直しを行い、この工程は夜班だけでなく昼班も1人の体制となりました。
社長は以前からこの工程はもっと効率的に作業ができると考えていたのですが、受注が旺盛だったこともあり、その生産対応で効率化に手が付いていませんでした。作業者も現状を何も変えようとせず、自分の城としてゆるい作業にどっぷり浸かっていたと言うのが実状でした。しかし、不景気によるリストラが状況を変えることになりました。
その工程の作業者を2人から1人にしたことだけでも、ある程度の効率化になったのですが、社長は作業者に対してさらに効率化を求めました。要求はしたものの作業者の工夫・改善に多くは期待していなかったのもまた事実でした。ところが、作業者1人になってしばらくすると、作業者からいっぺんに2つの改善提案が出てきたのです。
1つは、加工作業前の前処理をなくすこと。加工作業前に加工時の傷対策として加工材料にある前処理をしていたのですが、加工方法を改善することで前処理をなくしても傷の発生がないことが確認できたので、前処理を不要にしました。さらに前処理をした場合、加工後にこの前処理を取り除く作業が必要になるのですが、前処理自体をなくしたので、この後処理もやらなくて済むようになりました。前処理、後処理とも不要という、大きな改善でした。
2つ目は、加工機を1人で2台持ちにすることでした。この工程の加工機は2台あり、以前は1人1台持ちで余裕を持って作業していました。作業者は1人になったが何とか2台動かしたいと考え、機械の配置を工夫することで常時2台稼働とはいかないものの、必要によって1人で2台を稼働させることを可能にしました。
この作業者にどのようにしてこの改善案を思いついたのかを聞いてみたところ「社長がとにかく効率化、効率化と言うので何とかしなくちゃと思って必死に考えた」と言っていました。社長に深い考えがあったのかはわかりませんが、人を困った状況に置くと何かしらの工夫をするという典型的な事例でしょう。人を困らせるのも時に必要で有効に作用するものです。
もし新規取引先の工場視察で、作業指導書または作業手順書が現場になかったら取引可否はどのように判断しますか?中国工場を対象に考えていただいて結構ですが、どこの国の工場でも同じです。
わたしなら作業指導書が整備されていないような工場は、取引先としてはふさわしくないと判断します。どうしてもそこから買わなくてはならない理由があれば、買うという判断もあるでしょう。しかし、購入開始後に様々な問題が起き苦労することを覚悟しておく必要があります。
作業指導書は単なる書類ではなく、その工程で行われる作業に求められるものを網羅しているものです。品質基準、それを実現するための作業のポイントや手順など、指導書通りに作業をすることで品質を確保します。作業指導書は、それをみれば作業の手順や方法、そして注意すべきポイントがわかるように記載することが必要です。つまりそれを見ればそこでの標準作業方法がわかるということです。
中国企業の工場では、単に図面を転記したような作業指導書を見かけることがあります。作業指導書に関して中国企業を見るときにもうひとつ注意しなくてはならないのが、現場の班長なり組長などの管理者が作業指導書の意味を理解していないことです。作業指導書に作業手順を記載するときは、当然その時点でベストの方法であるはずで、それがその工程の標準作業ということになります。
決められた標準作業通りに作業者が作業していると思ってしまいがちですが、中国工場ではそうとは限りません。ある中国企業の工場では...
、作業指導書はあるものの作業手順が書かれていませんでした。
注意して見ると作業者によって作業方法が違うことが分かりました。作業方法を標準化して作業指導書に記載するように要求しました。作業指導書は修正され、作業手順が盛り込まれました。ところが、作業をよく見ると作業者によって作業方法が違っていました。標準作業が徹底されていないのです。
作業指導書に記載されている作業方法通りに作業をさせるのは現場の管理者である班長や組長の重要な役割です。この工場の班長や組長は、標準作業、そしてそれを記載した作業指導書通りに作業者に作業をさせる理由がわかっていませんでした。
自分たちにそのような役割・責務があることも理解していませんでした。中国工場を見るときは、こうしたことにも注意をしてください。そして現場の管理者に作業指導書が必要な理由を質問してください。現場の管理者のレベルが工場のQCDレベルになるというのが、経験から得た弊社の持論です。