◆なぜ、あの企業の「顧客満足」はすごいのか
4.これぞ浅草流の結束-東京浅草
(1) 外国語ばかりが飛び交う
朝から歩くことすらままならないほどの人、人、人。まさに人の波でです。そして、不思議なことに、日本語の会話ではなく、諸外国の言葉が飛び交っているのです。その楽しそうな声からは、勢い、元気、活力が感じられます。
どの店も中が見えないほど混雑しており、通りではテイクアウトのスイーツが売られ、それを片手に談笑している外国人の姿からは、楽しさと幸せ感が漂ってきます。もちろん、スイーツだけではなく、日本情緒たっぷりのお土産も売れに売れているのです。まるで高度成長時の日本の姿を彷彿とさせるその勢いに、圧倒され目を奪われます。
これはまさに「パワースポット」そのものです。
私か訪れたのはウイークデーで特別な日ではなかったのですが、実はいつ行っても同じような状況で、その迫力と活き活き感に、懐かしさと親しみを覚えるのは私だけではないでしょう。
雷門から浅草寺に至る仲見世通りの店舗の数々、私たちが「浅草」という言葉で思い浮かべる代表的な風景です。
とはいえ、実際は、33に及ぶ商店街が浅草にはあるのです。また、1月から12月までを通して、年間行事は数限りないほどあります。
初詣、七福神詣、出初め式、大根まつり、とんど焼き、初観音、初不動、節分会、針供養、流し雛、慰霊祭、金竜の舞、彼岸会、隅田公園桜まっり、仏生会、花まっり、十三詣、投扇、白鷺の舞、浅草流鏑馬、泣き相撲、宝の舞、三社祭、鳥越神社例大祭、朝顔市、七夕まつり、ほおずき市、施餓鬼会、隅田川花火大会、薪能、七五三詣、酉の市、年の瀬羽子板市、除夜の鐘と、挙げれば切りがないのです。
一つひとつの催事には、新旧を取り混ぜ、日本の伝統的な色合いや文化的な習慣が溶け込んでいて、浅草流の情緒たっぷりな歴史を今に伝えてくれます。
節分会、三社祭、朝顔市、ほおずき市、酉の市、羽子板市などは、マスコミでもよく報じられるためご存じの方も多いのではないでしょうか。
時代によっては、たとえば、大火事や戦争などにより、しばらくは催事が中止になっていた時期もあったのですが、神輿で有名な三社祭のように1948年に復活し、その後は間断なく実施されている催し物もあり、古くて新鮮な刺激が人々の郷愁、日本の伝統文化の心を呼び起こしているのです。
浅草寺の由来は、西暦628年に漁師が隅田川で網打ちしていたところ(現在の株式会社浅草むぎとろの裏側にあたる)、偶然、網ですくい上げた1寸8分の観音像を祭ることから始まっていると耳にしています。
その後、645年に観音堂を建立し、さらに857年に円仁(...
慈覚大師)が聖観音像を製作し、ご本尊として本堂に収めたことで注目度が増したといういきさつもあるようです。
また、1590年には徳川家康公が浅草寺を祈願所と定め、寺領500石を寄進したという歴史を持つ一方、何回も火事で消失するという憂き目にも遭っています。にもかかわらず、そのつど復活したのは、こうした貴重な歴史を持ち、また歴史が途絶えることを惜しむ人々の力があってこそのことでしょう。
次回は、(2) 代々の浅草つ子は少数派、から解説を続けます。
【出典】 武田哲男 著 なぜ、あの企業の「顧客満足」は、すごいのか PHP研究所発行
筆者のご承諾により、抜粋を連載