『坂の上の雲』に学ぶ全体観(その4)

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 人的資源マネジメント
 『坂の上の雲』は司馬遼太郎が残した多くの作品の中で、最もビジネス関係者が愛読しているものの一つでしょう。これには企業がビジネスと言う戦場で勝利をおさめる為のヒントが豊富に隠されています。『坂の上の雲』に学ぶマネジメント、今回は、『全体観』のその4です。
 

7. 通常要因と特殊要因に分けて考える

 
 ある事象の要因を考えるときには通常要因と特殊要因とに分けるべきです。たとえば、電車の運行ダイヤは決まっていますが、2~3分程度遅れることはよくあるので、これは通常要因です。一方、人身事故などで何時間も遅れる場合は特殊要因と言っていいでしょう。企業の業績も四半期ではずいぶんとブレがでます。ブレの中で特殊な要因があるものもあれば、原因はよくわからないが通常これくらいはブレるというものがあります。たとえば、予算と実績の差を説明せよと言われてもそのブレが甚だしい場合は臨時の出費があったなどと言えますが、多少の振れ幅というものは必ずあるから、そういうものをいちいち管理していても仕方ないでしょう。主要な部分はどこか、このへんがバラつく部分かなどの正しい判断が必要となります。
 

(1) 誤差の範囲

 
 誤差の範囲という言い方もあります。つまり、許容範囲という発想が必要です。なんでもかんでも細かくやればいいというものではなく、許容範囲の解明にかけるエネルギーがもったいないこともあります。つまらない管理になっていることが多いから、許容範囲という考え方をするのは重要です。ソフトバンクの孫正義氏が、事業仕分けが話題となったとき、次のような発言をしていました。すなわち、国の長期的なビジョンという視点で見れば、基幹産業としてこれから何に注力するかということでやらなければならない。事業仕分けが悪いということではないが、もっと国の将来を左右するようなものにエネルギーを割かなければならないのではないかというのです。事業仕分けそのものは悪い話ではないのですが、このことに精力を注入しても実りが大きくはないということです。つまり、無駄を省くという意味でわかるが、本来やるべきは国のGDPをうんと上げるようなことは何かについて議論すべきではないか、ということです。
 
 『坂の上の雲』の中で日本軍が最大の危機に陥ったと言われている黒溝台の会戦では、ロシア軍のシベリア鉄道の輸送量が増加している状況をどう見るかが問題となりました。黒溝台会戦の徴候にはさまざまなものがあり、すべてイギリスから大本営に伝わってきました。ロシアの状況がイギリスに伝わり、日英同盟でイギリスから日本に伝わってきました。そして、現地の参謀本部に送られた。「ロシアが大規模な作戦を計画しているらしい」という情報の中に、鉄道の輸送量が生半可でなく増えているという情報がありました。これは一大事だと伝わってきますが、現地の参謀本部の松川敏胤大佐(参謀総長)はこれに鈍感でした。しかし、これは特殊要因であって、バラツキの範囲ではなかったのです。ものすごい輸送量だからです。ロシアは大会戦を計画しているから物資をたくさん送っているわけです。しかし、誤差範囲ではないという情報があったにもかかわらず、日本側は厳冬下にロシアの攻勢などありえないという思い込みでそれを無視しました。ロシアからロンドン、東京、現地(中国)とかなり遠回りをした情報にもかかわらず、特殊な要因であることが伝わっていたのでした。
 
 現地では、秋山好古の騎兵部隊も敵の動きが尋常ではないことをキャッチしていました。「大規模な作戦を企画しているもののごとし」ということを松川大佐のいる参謀本部にどんどん送っていました。ところが好古の現地情報も大本営がロンドンからもらった情報も全部無視されたため、最初の会戦のときは悲惨な状況になりました。これも特殊要因か、通常要因のバラツキの範囲なのかで、分けて考えれば、明らかに誤差範囲ではなかったのです。好古がキャッチした情報も通常の動きではないということを何度も本部に送っていました。その度、「騎兵部隊の情報だ」と言って無視されてしまっていました。後で松川のところに好古があれはどういうことだったんだと聞く場面があります。
 
 何か事象が起こったら、通常のバラツキの範囲かそうでないのかを見極める必要があるのです。過敏に反応してもいけない。誤差範囲ということで流す必要もある。バラツキに対する感覚は個人的なものですから、バラツキや誤差範囲に対する概念が必要なのです。
 

(2) ボキャブラリー

 
 概念はあっても、ボキャブラリー(語彙)として定義できないという状態ではあまり使いものになりません。ボキャブラリーがいっぱいあれば基本的なことが頭の中に入っているので、通常要因なのか特殊要因なのかを判断するのは容易でしょう。ボキャブラリーは必要です。誤差範囲とか、バラツキという概念を頭の中に持っていれば、どう使うか、どっちが優先かという判断になります。ボキャブラリーを持つということは、頭の中に概念ができることです。「私、頭の中にいろいろあるのですが、ボキャブラリーが貧困でうまく表現できないのです」では使いものにならなうのです。その人の頭の中にある概念を、その人のボキャブラリーで表現してはじめて使いものになるのです。
 
 アーティストは作品で表現するからボキャブラリーはいらないと思われていますが、むしろ彼らには雄弁家の人も多い。絵や彫刻はボキャブラリーでは表現しないが、ビジネスの世界では概念を伝えなければならないから、的確なボキャブラリーを持っていることは重要なことです。実際、秋山真之は表現がうまかったようです。中でも「天気晴朗なれども浪高し」は有名です。バルチック艦隊をついに発見しこれから海戦に出動するとき、東京の大本営に打った電文の末尾の一節です。全文を引用すると「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直に出動、これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども浪高し」。シンプルですが、深い意味がこめられているようです。最後の部分は、天気がよいということは視界がよいので敵を取り逃がす恐れがない、これまで霧のため発見が遅れたり敵を見失ったりしたがその恐れがない。波が高いということは、艦が動揺するため射撃の照準がつけにくい。...
 人的資源マネジメント
 『坂の上の雲』は司馬遼太郎が残した多くの作品の中で、最もビジネス関係者が愛読しているものの一つでしょう。これには企業がビジネスと言う戦場で勝利をおさめる為のヒントが豊富に隠されています。『坂の上の雲』に学ぶマネジメント、今回は、『全体観』のその4です。
 

7. 通常要因と特殊要因に分けて考える

 
 ある事象の要因を考えるときには通常要因と特殊要因とに分けるべきです。たとえば、電車の運行ダイヤは決まっていますが、2~3分程度遅れることはよくあるので、これは通常要因です。一方、人身事故などで何時間も遅れる場合は特殊要因と言っていいでしょう。企業の業績も四半期ではずいぶんとブレがでます。ブレの中で特殊な要因があるものもあれば、原因はよくわからないが通常これくらいはブレるというものがあります。たとえば、予算と実績の差を説明せよと言われてもそのブレが甚だしい場合は臨時の出費があったなどと言えますが、多少の振れ幅というものは必ずあるから、そういうものをいちいち管理していても仕方ないでしょう。主要な部分はどこか、このへんがバラつく部分かなどの正しい判断が必要となります。
 

(1) 誤差の範囲

 
 誤差の範囲という言い方もあります。つまり、許容範囲という発想が必要です。なんでもかんでも細かくやればいいというものではなく、許容範囲の解明にかけるエネルギーがもったいないこともあります。つまらない管理になっていることが多いから、許容範囲という考え方をするのは重要です。ソフトバンクの孫正義氏が、事業仕分けが話題となったとき、次のような発言をしていました。すなわち、国の長期的なビジョンという視点で見れば、基幹産業としてこれから何に注力するかということでやらなければならない。事業仕分けが悪いということではないが、もっと国の将来を左右するようなものにエネルギーを割かなければならないのではないかというのです。事業仕分けそのものは悪い話ではないのですが、このことに精力を注入しても実りが大きくはないということです。つまり、無駄を省くという意味でわかるが、本来やるべきは国のGDPをうんと上げるようなことは何かについて議論すべきではないか、ということです。
 
 『坂の上の雲』の中で日本軍が最大の危機に陥ったと言われている黒溝台の会戦では、ロシア軍のシベリア鉄道の輸送量が増加している状況をどう見るかが問題となりました。黒溝台会戦の徴候にはさまざまなものがあり、すべてイギリスから大本営に伝わってきました。ロシアの状況がイギリスに伝わり、日英同盟でイギリスから日本に伝わってきました。そして、現地の参謀本部に送られた。「ロシアが大規模な作戦を計画しているらしい」という情報の中に、鉄道の輸送量が生半可でなく増えているという情報がありました。これは一大事だと伝わってきますが、現地の参謀本部の松川敏胤大佐(参謀総長)はこれに鈍感でした。しかし、これは特殊要因であって、バラツキの範囲ではなかったのです。ものすごい輸送量だからです。ロシアは大会戦を計画しているから物資をたくさん送っているわけです。しかし、誤差範囲ではないという情報があったにもかかわらず、日本側は厳冬下にロシアの攻勢などありえないという思い込みでそれを無視しました。ロシアからロンドン、東京、現地(中国)とかなり遠回りをした情報にもかかわらず、特殊な要因であることが伝わっていたのでした。
 
 現地では、秋山好古の騎兵部隊も敵の動きが尋常ではないことをキャッチしていました。「大規模な作戦を企画しているもののごとし」ということを松川大佐のいる参謀本部にどんどん送っていました。ところが好古の現地情報も大本営がロンドンからもらった情報も全部無視されたため、最初の会戦のときは悲惨な状況になりました。これも特殊要因か、通常要因のバラツキの範囲なのかで、分けて考えれば、明らかに誤差範囲ではなかったのです。好古がキャッチした情報も通常の動きではないということを何度も本部に送っていました。その度、「騎兵部隊の情報だ」と言って無視されてしまっていました。後で松川のところに好古があれはどういうことだったんだと聞く場面があります。
 
 何か事象が起こったら、通常のバラツキの範囲かそうでないのかを見極める必要があるのです。過敏に反応してもいけない。誤差範囲ということで流す必要もある。バラツキに対する感覚は個人的なものですから、バラツキや誤差範囲に対する概念が必要なのです。
 

(2) ボキャブラリー

 
 概念はあっても、ボキャブラリー(語彙)として定義できないという状態ではあまり使いものになりません。ボキャブラリーがいっぱいあれば基本的なことが頭の中に入っているので、通常要因なのか特殊要因なのかを判断するのは容易でしょう。ボキャブラリーは必要です。誤差範囲とか、バラツキという概念を頭の中に持っていれば、どう使うか、どっちが優先かという判断になります。ボキャブラリーを持つということは、頭の中に概念ができることです。「私、頭の中にいろいろあるのですが、ボキャブラリーが貧困でうまく表現できないのです」では使いものにならなうのです。その人の頭の中にある概念を、その人のボキャブラリーで表現してはじめて使いものになるのです。
 
 アーティストは作品で表現するからボキャブラリーはいらないと思われていますが、むしろ彼らには雄弁家の人も多い。絵や彫刻はボキャブラリーでは表現しないが、ビジネスの世界では概念を伝えなければならないから、的確なボキャブラリーを持っていることは重要なことです。実際、秋山真之は表現がうまかったようです。中でも「天気晴朗なれども浪高し」は有名です。バルチック艦隊をついに発見しこれから海戦に出動するとき、東京の大本営に打った電文の末尾の一節です。全文を引用すると「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊は直に出動、これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども浪高し」。シンプルですが、深い意味がこめられているようです。最後の部分は、天気がよいということは視界がよいので敵を取り逃がす恐れがない、これまで霧のため発見が遅れたり敵を見失ったりしたがその恐れがない。波が高いということは、艦が動揺するため射撃の照準がつけにくい。このことは射撃訓練の十分な日本に有利になり、ロシアの軍艦にとっては不利な状況でした。大本営とはこれまでの経過を共有できているとはいえ、これだけの情報が盛り込まれていたのです。
 
 海軍大臣の山本権兵衛は「作戦の文章に美文はよくない」と真之の電文を批判しています。事実を誤解させる恐れがあるので、一般的にはそのとおりでしょう。しかし、この場合は、現場と大本営に共通の事実認識があったので、簡潔ながらも見事に詳細な情報を伝えています。また、「撃滅」についても意味があります。東郷は天皇に「かならず撃滅致します」と約束していました。この電文では「これを撃滅せんとす」でなければならなかったのです。後世、美文としてしか受け止められていませんが、これだけ中身の濃い内容であったのです。単なる作戦用の文章が、文学的な文章にまで高まってしまった観があると司馬は書いています。ボキャブラリーを増やすには、本を読むのが好きなら本をたくさん読む。読むのが嫌いなら人の話をたくさん聞くことです。テレビを見るのは受動的でダメですが、他者と会話するのは良いでしょう。会話は双方向だからです。
 
【出典】
 津曲公二 著「坂の上の雲」に学ぶ、勝てるマネジメント 総合法令出版株式会社発行
 筆者のご承諾により、抜粋を連載。
 
  

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この記事の著者

津曲 公二

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