『坂の上の雲』は司馬遼太郎が残した多くの作品の中で、最もビジネス関係者が愛読しているものの一つでしょう。これには企業がビジネスと言う戦場で勝利をおさめる為のヒントが豊富に隠されています。『坂の上の雲』に学ぶマネジメント、今回は、『全体観』のその6です。
9. 成功に至るシナリオが描けるか
成功の姿を鮮明に描けなければ、シナリオを描けません。大統領になりたいのか、芸術家になりたいのかではシナリオがまったく変わってきます。成功の姿を持てるだけでも随分違いますが、さらに目標に至るまでのシナリオが大切です。ただガンバルだけでは目標に到達出来ません。途中にはいろいろな障害が出てくるだろうし、大きな目標だといきなり到達できないからめげてしまうでしょう。プロジェクトマネジメントではよくマイルストーン(一里塚)と呼ぶものを節目ごとにつくっておきます。そうすれば、こんなものが必要になるという組み立てができるようになるのです。成功の姿を鮮明に描くことができなければ、シナリオを描くことができません。到達点があるから、そこに往く道筋を考えることになります。日本海海戦はその緒戦でほとんどかたがついてしまったようです。実は、秋山真之は段階的に「七段構えの戦法」を用意してあり、これでバルチック艦隊を撃滅することを考えていました。作戦家の緻密なところです。実際の海戦は最初の30分間で大勢は決まり、後は残敵を一掃するという段階になりました。しかし、準備としては最初から七段構えでした。
海軍の真之は、この作戦の前に体をこわして入院している間もずっとシナリオを考えていました。見舞いに来る人たちに「こんな参考書、あんな参考書はないか」といろいろ聞く場面があります。陸軍の作戦シナリオは、いざ日露が開戦したときに陸軍としてはどこまで進出し、どこを押さえるかというものでした。それはかなり緻密なもので、児玉源太郎の前任者である「陸軍の武田信玄」と呼ばれた田村怡与造がシナリオ作成の途中で亡くなってしまうのです。仕方なく、すでに大将クラスだった児玉がわざわざ次官クラスの参謀長を引き受けるわけです。児玉としては「俺以外にやれるやつは他にいない」と思っていたからです。そして田村が途中まで作ったシナリオを引き継いで児玉が完成させるわけです。その出来栄えは、どうがんばってもどんなシナリオを何通りも検討しても、ロシア戦は引き分けまでもっていくのが精いっぱい、勝つというシナリオはどこからも出てこないというものでした。
勝てるシナリオが描けないことを訴える場面が出てきます。当時の財界の巨頭である渋沢栄一に児玉が、「財界の協力がなければ戦費の調達ができなくなる」と頼みに行きます。アポもなしに羽織袴でいきなり行ったため、「アポなしでは会えない」と断られますが、では出て来るまで待つと出口で待ち続けると、さすがの渋沢も会わないわけにはいかなくなるのです。そして、児玉は「私が夜も寝ないでいくら何通りも考えても、引き分けにもっていくのがやっとです。引き分けるにしても財界の戦費調達がなければできない」と渋沢に訴えました。このように目標に向けてのシナリオづくりを懸命につくったのが、海軍の秋山真之と陸軍の田村怡与造とそのあとを継いだ児玉源太郎でした。
極東へのロシア艦隊の派遣シナリオは、司馬遼太郎もやはりすごい話だと称賛しています。大きな事故もなくバルチック艦隊が日本への長い航海を達成したのは、今の言葉で言えばプロジェクトマネジメントが成功したことになります。さすがに大国ロシアだと評価しています。しかし、艦隊を連れてきてもそれをどう使うかを緻密に考えていなかったので、ロジェストウェンスキーは艦隊を無駄づかいするのです。艦隊を連れてきたのは立派だったし、途中では英国海軍の補給妨害や寄港妨害にも遭った中でよくやったと評価されています。ところが最後に画龍点睛を欠くというか、指揮官に成功のイメージがまるでないものだから、行きあたりばったりになってしまう。したがって、日本は作戦を緻密にやり、覚悟を決めて戦いに臨んだのに対し、ロシアの作戦はあいまいで覚悟も希薄でした。日本海海戦が空前の大勝利をおさめたのは、日本海軍の周到なシナリオに対し、ロシアはシナリオが最後まであいまいだったことが原因でした。敵が負けるべくして負けた...
結果と言えるでしょう。
10. 全体観について
我々は物事の渦中にいると、どうしても目前のできごとに注意や関心が偏る傾向があります。目前のできごとは長い時間の流れから見るとどうなるか、あるいは全体の中の位置づけから見るとどうかなどの観点を示してくれるのが全体観です。全体観があるからこそ、枝葉末節や本末転倒、あるいは手段が目的化するなどの言葉は、従来から戒めとして使われてきました。今まで漠然と全体を感じていたものを、ここで「全体観」として明確に認識されるとよいのではないでしょうか。仕事の方向を誤らない、見失わないために必須のセンスとして養っていただきたいと思います。
【出典】
津曲公二 著「坂の上の雲」に学ぶ、勝てるマネジメント 総合法令出版株式会社発行
筆者のご承諾により、抜粋を連載。