1.マレー海戦日本軍勝利の原因とは
存知の方も多いかと思いますが、真珠湾攻撃の直後に展開されたマレー沖海戦は、真珠湾以上に英米連合軍に衝撃を与えた海戦でした。真珠湾では停泊中の艦船が撃沈されたのですが、マレー沖では英国が誇る最新鋭巨艦プリンス・オブ・ウエールの率いる艦隊が、日本海軍を迎え撃つために出撃した海戦で日本軍航空部隊に撃沈されたのです。当時の常識では、作戦中の艦隊が航空機だけの攻撃で撃沈されることは考えられなかったため、これを機会に連合軍は巨砲戦艦主体の戦闘の終焉を悟り、空母機動部隊主体に移行したのです。“目的指標”を巨砲戦艦から「空母機動部隊」に切り替えたのわけです。
ところが日本軍は、自分たちの成功要因(海戦を制する“目標指標”は「空母機動部隊」に移行したこと)を正しく認識することなく、最後まで巨砲戦艦主義から脱することが出来ませんでした。これは日露戦争の日本海海戦など過去の成功体験にとらわれて、航空機の進歩によって戦闘の“目的指標”が変ったことに対応できなかったからです。ダーウィンは「生き残るのは環境の変化に対して変り続ける種だ」といったと伝えられます。かつて栄光に輝いた企業が突如衰退の一路をたどるのは、変ることが出来ないからと言えるでしょう。
(妹尾賢一郎著「技術力で勝てる日本がなぜ事業で負けるのか」から)
2.ゼロ戦の強さと連合国の対抗策
もう一つ、皆さんよくご存知の「ゼロ戦」は、なぜ戦争初期に敵機を撃墜し続けることが出来たのでしょうか。それは「ゼロ戦」が、空戦で勝つために追い求める指標 “目的指標”を“操縦性の極限追及”とし、機体の設計を操縦性の一点に絞って一切のムダをそぎ落とし、飛行士を極端に操縦性のいい過敏な機体を使いこなせるように徹底訓練したからです。この結果、「ゼロ戦」は敵機の背後に機敏に回り込んでこれを撃墜し百戦百勝となったのです。
ではそれに対して敵はどんな対応を取ってきたでしょうか。操縦性では勝てる見込みがないので、「ゼロ戦」の操縦性を無効にする手を考えたのです。それは、「ゼロ戦」1機に対し2機で戦って、「ゼロ戦」が1機の背後に廻った時、もう1機が「ゼロ戦」”の横あるいは背後を突くという戦法でした。そして、この戦法を確実に実行するため、“2倍の数の戦闘機投入”を“目的指標”にしてきたのです。
3.重要なのは正しい目的指標の設定
戦闘をビジネスに置き換えると、戦場→市場、敵→相手(競合)企業となり、上記を要約すると以下のような3つのステップになります。
- ステップ1.市場の勝敗を支配している「既存の指標」を見つける
- ステップ2.競合企業が使っている「既存の指標」が役に立たない方策を見つける
- ステップ3.新たに見つけた方策を「目的指標」にして戦う体制を整える
(鈴木博毅著 「「超」入門 失敗の本質」より)
いつも強調しているように、イノベーションは「利益を上げ、社会に貢献する」体質を創ることです。そのために筆者は、以下の...