◆ 経営者の言動のブレ、その思わぬ波紋
「このやり方が良いとは思えないんです」と言うのは、とある改善活動に取り組む企業の50代男性役員の言葉です。これは、このA社で社長・この役員さん・私と3人で打ち合わせをしていたときの言葉です。
A社では改善活動の一つとして、研究開発のやり方を変えるための勉強会を実施していました。毎月テーマを決めて、特定の技術について、ある方式で勉強するものです。この勉強会という改善活動ですが、様々なクライアント企業で非常に効果を上げており、好評な方法の一つです。
好評とはいえ、現状を変えようとする改善活動はどれも最初から全面賛成というワケではありません。何らかの改善活動を経験したことがある方であればお分かりいただけると思いますが、どんな改善活動でも反対というのはつきものです。改善を実施する立場からすれば、反対意見から学ぶこともあるというのはよくある話だと思います。
反対意見というのは往々にして、現状を変えたくない人から出されることが多いと思います。そして現状を変えたくない人は多いものです。よく「2:6:2の法則」とか言いますが、これには変えたくない人が存在するという意味もあります。
「勉強会」という改善活動の中では比較的小さな取り組みであっても反対意見が生じます。A社でも同様に「現状を変えたくない」という人はいたので、勉強会に参加するメンバーからそのような発言が出ることはある意味で当たり前で、そうした反対は乗り越えなければならないものです。
反対の理由を聞くと、この役員さんはこのように言われました。「勉強会に参加している一部のメンバーから『勉強会の負担が大きい』という声が上がっているんですよ。だから私は最初から反対だったんです」。そのことを聞いて私は耳を疑いました。役員といえば本来であれば経営者の地位ですから、改善活動を推進しなければならない立場なのです。それが社員が反対しているからといって、反対に回ってしまった。自分の意見というならまだしも、社員の意見とは、、、。「筋が違うのではないか」と思いました。
社長が言います。
「君は反対意見だよね」。「いいえ、反対というわけではありません。社員の負担が大きいという声が上がっているんです」と役員が返します。「反対だと言わなかった?じゃあ勉強会をどう思うの?」と社長が返すとこの役員さん、押し黙ってしまいました。
「この方法が良いとは思えないんです。社員の負担が重いという声が上がっています」。
私が「どうしたら良いですかね?」と聞きました。「…」役員さんは何も言わなくなってしまいました。
念のために書いておきますが、私はこの役員さんが嫌いだとか、ウマが合わないと思っているわけではありません。逆に非常に相手を思いやることができる大変心優しい方であることもあり、気を遣っていただいていると感謝しています。
実際、この役員さんは社員に対しても優しく、社員からも信頼されているため、様々な意見が届くようです。この場面もそのことが感じられるものでした。この方の良い側面だと思います。
しかし、A社での改善を進めるにつれて、徐々にこの方の良い面が後ろ向きにも作用するのだということが明るみになってきました。A社では勉強会をはじめとして、様々な改善活動を試みているのです。勉強会というのは、改善活動の中でも比較的軽微なもの。部署の新設や異動などの大掛かりなものも検討中なのに、勉強会という軽微な改善で社員の肩を持つようになるというのも考えものでした。
当然ですが会社としては、経営課題を解決するために改善活動をやろうとしているワケです。もしかするとA社の場合、「会社としては」ではなく「社長としては」と言った方が良いかもしれません。
もちろん社長とて、社員の声を完全に無視出来るわけではありません。しかし一般的には社員の声を聞きながらも、改善を実行しきってこそ、経営課題の解決ができるというものです。それが仮に、反対を押し切って断行する場合でも、です。
そのため経営者であれば、社員の声・反対意見にも配慮しつつ、経営課題を解決することに全力を尽くすべきだと思います。社員の声や反対意見も聞くが、改善案はやり遂げる。まさに「清濁併せ呑む」のです。
しかしすべての経営者がそうではないものだと思います。この役員さんはおそらく苦しんだのだろうと思います。やるべきことは分かっている、しかしこれまで培ってきた社員との信頼関係、人格・人望が改善案を実行することを否定させたのではないかと思います。
最後に押し黙ってしまいしたが、表情からは対案を出せないことへの後ろめたさを感じませんでした。
「人生は選択の連続」といいます。この言葉は、選択によって自分の人生を作るという意味があるように思います。この役員さんには、社員の反対を押し切っても改善をやりきるという選択肢と、社員との信頼関係を選んで社員の反対意見を支援するという選択肢があったように思います。しかし私には、この役員さんが社員の反対を押し切ってでも改善案を実行するという選択ができるとは思えませんでした。それは自分の人格を変えることに等しいように思うからです。
「清濁併せ呑む」というのは経営者には必ず求められることだと思いますが、それが出来る人格を備える人はなかなかいないと思います。善し悪しとか優劣の話ではありません。単純に清濁併せ呑むことが出来るのか出来ないのかを書いているつもりです。
企業経営には改革がつきものです。現状を改革しようとするのであれば、清濁併せ呑むことが必要であることは言うまでもありません。きれい事ばかり言っていられない。反対にあっても改革をやりきるしかない状況はどこにでもあるからです。
A社で、その後どうなったかを紹介します。1ヶ月後に会議を持ったのですが、その回からこの役員さんではなく別の方が出るようになりました。
「代わりましたので」と社長は私に言われました。「承知しました」と私は返しました。
社長は表情を一切替えませんでした。ごまかすための笑みを浮かべたりすることも、後ろめたさを隠すような苦笑いをすることもありませんでした。さらに言葉を足すこともしませんでした。このやりとりから私は、社長が清濁併せ呑む方だな、と感じ取りました。
今回の話では役員さんが社員の肩を持って改善の障害になり兼ねなかったワケです。それでA社社長が役員さんを外したわけですが、A社社長は自分の尺度で役員を測り、決定したのです。本来はしたくない決断とはいえ、やらざるを得ないことを粛々とやる。A社社長は職責を全うされたように思いました。
一方役員さんはどうでしょうか?私には、役員さんはご自分の人格に矛盾のない行動をとったように見えました。反対意見を押し切ってやりきるのではなく、社員とそれまで培った信頼関係を維持する方を明確に選んだというわけです。私の目には、彼の行動が彼自身の大事にしているものに忠実に映りました。
社長と役員、どちらも立派な行動だったと思いますし、中途半端ではなかったように思ったのですが、このことを通じて、自分の大事なものに忠実に仕事しているか、と反省させられる気がしました。
この記事を通し読者の方に投げ掛けたいのも「自分の大事なものに忠実な仕事をしているか」ということです。A社社長、役員ともに、中途半端な行動はとられませんでした。A社社長の決断は鮮やかだった一方、役員さんにも保身はなかったと思います。
私たちも同様に仕事におけるあらゆる場面で、自分の意識が問われると思います。私は...