1. 熟達とは
前回は、内発的動機づけ(モチベーション3.0)の3要素のひとつである「自律性」について解説しました。「自律性」は誰もが持っているし、自律している自分は心地よいものなのですが、自律した人になることは決して簡単なことではないのも現実です。日々の修行が大切です。今回は3要素のうちの「熟達」を紹介したいと思います。前に紹介したダニエル・ピンクの「モチベーション 3.0」の原著では「Mastery」となっています。翻訳した大前研一氏は「マスタリー」とそのままカタカナにしていますが、熟達にしてもマスタリーにしても馴染みがなくてピンと来ません。
「熟達」とは、何か価値あることを上達させたいという欲求を持ち、終わりのない、たゆまない努力を、根気強く続けることで、実際にその価値ある何かを上達させることです。来る日も来る日も、素振りする、走り込む、筋トレをする。毎日欠かさず、ブログを書く、英語を聞く、声かけをする。いろいろな「何か」がありますが、それが必要で価値があるから続けている。「熟達」はそういう振る舞いになってあらわれます。「自律性」を身につけるには日々の「修行」が大切だと言いましたが、「熟達」は「修行」そのものといっていいかもしれません。
2. 精神論のように感じましたか
精神論と感じた理由は、「努力」や「修行」という言葉に「やらされ感」があるからかもしれません。学生時代の体育会系の部活とか、今は少なくなりましたが、スポ根のアニメやドラマには、上達には苦しい精神論のイメージがあります。好きでやりはじめたのに、あまりの練習の厳しさや先輩やコーチの厳しい態度に心は折れてしまっている。やめたいのだけど、周りの目が気になって、また、弱い自分を認めるのはイヤだからやめることはできない。毎日毎日苦しくてつらい・・・。こんな感じなので、何も考えずに根性だけでやるしかない、となってしまいます。
これは「熟達」ではありません。熟達は、自分が大切だと思うからやる、自分で決めたからやる、ということです。前回の「自律性」にもとづいているものなのです。また、「価値がある何か」というのは「目的」がはっきりしていることも大きく影響します。自分の目的を達成するために、自分の能力や技術を磨くことが必要で、だから毎日欠かさずにやるのです。内発的動機づけの3要素は相互に強く関係しています。
3. キング・カズに見る「熟達」
40代になってもなお現役のJリーガーである、キング・カズこと三浦知良氏は「熟達」を実践しているよいお手本です。日経新聞にキング・カズが連載コラムを持っていますので、その一部を紹介しながら「熟達」を解説したいと思います。こんなときでも何かを信じて、やるしかない。個々人がクオリティーを上げるしかない変えていくべきは一人ひとりの質なんだ。これは僕自身もやらなくてはいけないことで、僕は僕を高めるしかない。自分がどうあるべきかをまず考え、自分が試合に出て活躍するために、高め得るフィジカルを高め、調子を上げるために走り込む。やるべきことをやるためにきついこともやり、もがく。そこには必然的に苦しみが伴う。でもこの苦しみは苦痛とはまた違う。きついけれども楽しい。
キング・カズ、さすがです。サッカーの選手寿命は 30歳と言われている中で、40代になった今でも、少ないながらもフル出場をして結果も出している、その言葉には「熟達」のエッセンスが詰まっています。出場が 10試合しかなかった 2010年のシーズンで、唯一スタメン出場した大分トリニータとの最終戦でゴールを決めたときのことを、コラムではこう言っています。この一年、試合形式の練習は僕にとっての公式戦だった。試合前日でもメンバー外の選手と球を追った。調整と思って臨んだ練習なんて一度もない。グラウンドでの一瞬一瞬、僕は本番をプレーしていた。それが最後に最高の90分間をもたらしてくれたと信じる。
日々の練習にどれだけ真剣に取り組んでいるのかが、ヒシヒシと伝わってきます。結果だけにこだわるのではなく、この姿勢が結果を生んでいることがよくわかります。だからこそ、単に「持っている」から結果を出せたのではないと言っています。2009年のワールドベースボールクラシック(WBC)の決勝戦で決勝打を打ったイチローについて次のように言っています。打てる時も打てない時も同じ姿勢で努力し、日々バットを振って打てなくなる不安を...