【レジリエンスとは 連載へのリンク】
レジリエンスを高める技術を、分割して解説しています。
前回のその2に続いて解説します。今回が、第3回で、セルフコントロール(Self-regulation)についてです。
1.やらない力
レジリエンスを高める6つの力の2つ目は「セルフコントロール(Self-regulation)」です。「セルフコントロール」と同義の言葉として、自律心、自己調整、自己鍛錬などがあります。また、「意志力 (Willpower)」といわれているものとも同じと考えていいでしょう。
これら同じ意味の言葉からセルフコントロールの内容は想像がつくと思いますが、その意味することを端的にあらわすとしたら、「やらない力」ということです。自分がやりたいと思っている目の前の具体的欲求(これを「一次的欲求」といいます)よりも、自分の大局的な目標や価値観(これを「二次的欲求」といいます)にしたがって行動することです。ありたい自分やなりたい自分のために、目の前の誘惑に打ち勝つ力ということです。
いくつかの研究によれば、中期的な成績に関係するのは知能よりもセルフコントロールであることや、年収との正相関があるということもわかっています。セルフコントロールは、レジリエンスという観点からだけでなく、何かを達成するための重要な力であるともいえます。
2.セルフコントロールの厄介な面
このように、人にとって重要なセルフコントロールですが、インターネット上にいくつかの診断テストがありますから、自分のセルフコントロール力を知りたい方はやってみるとよいでしょう。参考のため、心理学者ハンス・アイゼンクの簡易版診断テスト(図1)を紹介しておきます。「はい」の回答が多いほどセルフコントロール力が低いという評価になります。
図1.セルフコントロール診断
ただし、これらの診断テストで自分のセルフコントロール力を評価したとしても、あまり当てにならない面があることに注意してください。セルフコントロール力には個人差があるのは当然なのですが、個人の中において対象や領域によってその強さが大きく変わるという特徴があります。図2に示すような関係になります。個人内のバラツキ(分散)が非常に大きいのです。
図2.セルフコントロール力と領域
つまり、人にはセルフコントロールを発揮できる領域と発揮しづらい領域があり、発揮しづらい領域では誘惑に負けてしまう可能性が高いのです。誰もが誘惑に負けてしまう面を持っているということです。たとえば、一流のアスリートは、その誰もが厳しく苦しい練習を何年も続けることによって、技術面だけでなく精神面も高めた人たちです。高いセルフコントロール力を持っているのは間違いない、そんな一流のアスリートたちであっても、勝つために薬物に手を出したり、大切な人間関係を壊したりする事件は後を絶ちません。
スポーツに限らず、一流とよばれる人は皆、地道で苦しい練習や訓練を続けてきた人たちであり、高いセルフコントロール力を持っているのは間違いないのですが、セルフコントロールが十分には効かない弱い面を持つのです。誰もが、自分のセルフコントロールが機能しない弱い領域があると意識しておくことが大切です。
3.心理的距離のコントロール(Self-distancing)
やらない力、誘惑に打ち勝つ力であるセルフコントロールですが、その鍛え方ひとつの「心理的距離のコントロール」を紹介したいと思います。これは、当事者となっている自分と、その自分を客観的に見る傍観者としての自分とを切り替えるというものです。文章では伝えにくいところがありますが、車の運転を例にとって説明したいと思います。
たとえば、いつも通り慣れている見通しが悪い交差点で、人や自転車に当たりそうになってドキッとした経験はないでしょうか? 次のような感じで、そのときのことを具体的に思い出してみてください。
その日は、帰宅直前に上司に怒られたことが気になって、何が悪かったのかとか、レポートをどうやって修正すればいいのかで頭がいっぱいになっていた。家へ帰るときもレポートのどこを修正するのかを考えながら運転していたが、いつもの通り慣れた道なので何の問題もなかった。でも、自宅近くの交差点を横切ろうとしたとき、自転車が突然あらわれたと同時にキーッという大きな音がした。無意識にブレーキを力一杯踏んでいたが、体中の血液は逆流し、心臓はバクバクと音を立て、手足は固まってしばらく動かなかった。少し時間が経った後、ぶつからなくて良かったという安堵と同時に、急に出てきた自転車に対する怒りがこみ上げてきて、車の中で怒鳴っていた。
このように、自分が見えていたもの、聞こえていた音、感じていた空気感などを細かなことまで具体的に思い出してください。さらに、そのときどんなことを思い、感じ、考えていたのかも思い出してください。これを当事者としての自分といいます。
次に、会社を出てから見通しの悪い交差点での出来事までを、まるでヘリコプターに乗っているような、上空の遠いところからさっきの当事者としての自分やその周りの状況を客観的に観察している別の自分を想像します。上司から怒られていた自分はどう見えるでしょうか? いつまでくよくよと考えているんだと思うのではないでしょうか。怒られたことをずっと考えながら運転している自分はどう見えるでしょうか? 運転に集中しないと危ないぞ、何をやっているんだと思うのではないでしょうか。飛び出してきた自転車と自分の車、そして、そのときの自分はどう見えるでしょうか? 見通しが悪いのだからもっとスピードを落として注意しなければダメじゃないかと思うのではないでしょうか。こうやって写真のように自分を遠くから客観的に観察しているときには、観察対象となっている自分に対して何を思い、何を感じ、何を考えるでしょうか。これを傍観者としての自分といいます。
写真.客観的観察の...