♦ 情報倫理とはいうけれど…
1.奥が深い情報倫理
最近「メールや投稿で人を中傷しない」などといった問題に関係して、情報倫理という言葉を耳にするようになりました。東北大の静谷啓樹教授の素晴らしい教科書『情報倫理ケーススタディ』(サイエンス社)を読んでいただければよく分かりますが、この問題は実に奥が深いのです。つまり「良い・悪い」、「正しい・正しくない」というような、分類学を行うこと自体に関する我々の知識の不足度合い、ないしは原理的不確定性のために、一意解が見つからないことが多いということになってしまいます。
例えば、この教科書に書かれている最初の例題は、それを端的に表しています。
ある日、教授が重要な学会の論文提出締め切り前日であることに気づき、共同研究者である助教の部屋を訪ねる。すると彼は不在。そこで、計算機の管理者に頼み、彼のファイル一覧を見ると、それらしい名前のファイルが見つかる。そのファイルのパスワードを見破り、中身を見ると、何と「お疲れ様」と1000行あるだけ。後で、その助教から聞くと、このファイルは「おとり」であって、本物は「ゴミ」という名前で何とパスワードの設定もされていませんでした。「さて、このケースは倫理問題としてどう考えるべきか?」というのです。やって良いことと悪いこと、こんな単純なケースでさえ、考えれば考える程、分からなくなります。利益が絡めば、もっともっと面倒になってくるのは当然です。
2.ヘンペルのカラス
このような「意味」のあることで話をするから分からなくなるのです。そこで「論理」の登場となります。数学を思い出していただければ「∀」とか「∃」という記号があったはずです。∀は「全部・全て」という意味ですが、肯定的に使われている限り、そんなに問題は起きません。しかし、否定を伴うと解釈が極めて困難な状況になります。例えば「カラスは全部白くない」という文は、何を意味しているのでしょうか?カラスは当然皆黒い、だから、この文章はそれを意味している、と単純に済ませられれば良いのですが、実は違います。3羽カラスがいたとします。3番目のカラスだけ白くない場合も、カラスは全部白くない、となります!これを部分否定といいます。
ヘンペルのカラスは対偶なので、もっと難しいことになります。「カラスは黒い」という命題を証明するには、世界中のカラスの色を調べなくてはなりません。では、この命題と同値の「黒くないものはカラスではない」ということを証明する方が良い?しかし、これとて同じで、数限りなく調べ回る必要性は変わらず、現実的ではありません。日本語で白鳥という鳥の英語名はswanです。白鳥の湖に出てくる黒い鳥は何でしょうか?実は、オーストラリアに行くと「黒い白鳥(black swan・写真)」が沢山いるのです。我々の知っている範囲で世界を判断することは危険極まりないことなのです。
曖昧(あいまい)さなく、論理的に物事を表現することは本当にできるのでしょうか?数理の世界ならこれは可能です。∀x∃yは、どのようなxに対して...