1. 計算の限界
如何(いか)にスーパーコンピューターを活用しても、計算出来る範囲はやはり限られています。例えば、タンパク質の3次元構造を電子状態から計算しようとすれば、百万個どころではない電子数を扱わなければならなくなります。現在の標準第一原理計算である密度汎関数法のレベルでは1万電子程度が限度であり、計算量は電子数の3乗に比例するので、現状より百万倍速い計算機が必要ということになります。
機械工学の基礎であるクラックの問題でも同様の規模の計算量が必要とされています。一方、スーパーコンピューターは、アムダールの法則が継続すると仮定して5年で1桁(けた)速くなるので、これらの問題を電子レベルで計算することが30年後には可能になると予想されます。そうなれば、実験事実を使わずに、物理の第一原理だけでタンパク質や機械用材料の原子構造、物性値を予言することができるため、新物質・新材料・新生体材料の精密で迅速な理論設計が実現するはず…なのでしょうか?
2. マルチスケール模型の登場
30年待っている?まさか、そうはいかないので、現在使える計算機を使って何とか必要な解を求めなければなりません。そのためには、精度を落とした計算方法を採用することが考えられます。例えば、量子式学の方程式を解くのではありますが、相互作用をパラメーター化したタイトバインディング模型を使う、古典分子動力学を使う、有限要素法を適用した連続体模型を使う…などの方法があります。しかし、電子状態は原子位置が変われば大幅に変わるという具合に極めて微妙です。それに実際、反応などに重要な寄与をする原子の数は限られているのです。そこで、肝心な部分は精密に計算し、その周りは少し雑に計算、さらにもっと遠方はもっと雑に扱う、という方策が考案されました。
下の図のように、メッシュサイズを大幅に変え、中心近くのメッシュ内では第一原理計算、その次のメッシュ内では古典分子動力学、さらに外側では連続体模型を適用するのです。もちろん、その境界部分での接続を如何に上手に扱うかが一番の問題になります。もちろん、図の様な異なるサイズのメッシュを使う方法は昔から用いられ、古典分子動力学法では標準的な手法です。しかし、そこでは、メッシュサイズごとに全く異なる計算模型を適用していた訳ではありません。
図. メッシュを使った古典分子動力学の標準的手法
鉄道模型の世界でも、昔からマルチスケールという言葉が使われてきました。まず、単位であるゲージに9mm、16.5mm、32mm、45mmとあります(それぞれ、Nゲージ、16番、Oゲージ、Nゲージと呼ばれます)。さらに、16.5mmの線路幅には、HO、16番、O O、Sn3-1/2、On30とあり、それぞれ、1/87、1/80、1/76、1/64、1/48模型になります。それは本物の鉄道の方に広軌と狭軌などと異なる規格があるからなのです。さらに、遊園地で見るような大きい模型もあり、それらは、16.5mmの軌道の何倍かになっていることが多いのです。本当は単一ゲージでその何倍かだけがあるのが良かったのでしょうけども、そうなっていないのは、国の事情、人間の歴史の複雑さの表れです。
3. 今後の発展 ~ マルチスケール模型は現場数学に不可欠
最初に述べたように、計算機は5年で一桁速くなっていますので、そのうち、現実に存在する物質をそのまま計算機の中に設定して、それを電子状態から全て計算できるようになると考える人が多いと思います。しかし、それはほぼ不可能なのです。なぜならば、上述の話は、我々が対象とする物質は一様であると想定していました。しかし、本当の物質はそんなに単純ではありません。結晶も実は多結晶と呼ばれていて、単位となる結晶粒から構成されているのです。その各粒は1020くらいの原子から構成されているのが普通なのです。つまり、単位として解かなければならない結晶粒の精密計算が可能となるだけでも今後、80年もかかることになるのです。さらに、引っ張り強度などは、主として粒界(結晶粒間)の相互作用によるので…と…どんどん、気が遠くなるように必要な計算量は増えます。タンパク質の計算でも、現在は単一のタンパク質の3次元構造を問題...