はじめに
巨大津波が押し寄せたあの日から12年 !!、改めて「命を救ったリスクマネジメント」について考えてみましょう。
子供たちの証言をもとにアニメで再現された「釜石の奇跡」NHKスペシャルは、アメリカ・ドイツなど国内外で受賞多数。「釜石の奇跡」の中で日本を代表する経営学者の野中教授が 「・・・これは、まさに『マネジメントの本質』だ」と評価しています。実は「釜石の奇跡」には2つの違ったケースがあります。釜石湾に面した中心街での釜石小学校の子供たちの話と大槌湾に面した鵜住居地区での中学校・小学校の話です。その要点を紹介して、リスクマネジメントの本質の一つである『気付きと行動』について考えてみましょう。
なおリスクマネジメントの本質には「福島第一原発事故」などに見られる「安全設計」「技術経営」「3H」など別の側面がありますが、次の機会に紹介させていただきます。
1.何度も大津波に襲われてきた「釜石」と湾口防波堤
三陸は1896の明治三陸大津波・1933の昭和三陸大津波などたびたび大津波の災害を受けてきました。鉄と魚とラグビー(1979~1985全日本選手権7連覇)の町「釜石」では大津波から「釜石」を守る「釜石湾湾口防波堤」が湾の入口に国の直轄事業として1978年着手2009年3月完成。2010年には「世界最大水深の防波堤」としてギネスブックに登録されました。
その直後2011.3.11に巨大津波が「釜石」を襲ったのです。「湾口防」があるから大丈夫だというのは幻想に終りました。巨大津波は「湾口防」をいとも簡単に破壊し「釜石」の中心街を飲み込んだのです。「湾口防」は浸水を6分遅らせ津波高を13mから7-9mに減らした効果があったものの釜石湾に面した中心街地区で200人以上が犠牲になってしまいました。(なお湾口防波堤は2018年に復旧工事が完了して「釜石」を守っております)市全体では(鵜住居地区で犠牲者が多く1000人以上が犠牲になった中で、3000人の小中学生はみな無事だったのです。
2.釜石中心街のケース
釜石小学校は津波が来ない高台にあって学校にいれば安全だったのですが、巨大津波が釜石を襲った時は、子供たちは自宅のある中心街に帰っていました。学校で防災教育をしっかりやっていたものの街中に散らばった子供たちはどうしたのでしょうか? 上の「釜石の奇跡」第1章に、あの日(学校の管理下になかった)釜石小学校の子供たちが取った行動6つのケースが生き生きと語られています。子供たちは防災教育で習った津波の怖さと「津波てんでんこ」の言い伝えと避難訓練を思い出して、それぞれが街中から(なかなか動こうとしない大人をせっついて)高台にある避難道路へと避難階段を駆け上がったのです。
184人の子供たち(青赤の人影)がいた場所は殆どが大津波に飲まれてしまいました(上の図_出所;DVD)が、子供たちは全員生き延びただけでなく大人も助けたのでした。大人の行動はどうだったのでしょうか。犠牲者は殆どが津波浸水域の外側に住んでいた人達でした(下の図_出所;DVD)。中心街の大人達は子供たちにせっつかれて逃げましたが、街に出掛けていた大人達は(湾口防があるから大丈夫・・・と)タカをくくっていて逃げ遅れてしまった(赤点●)のではないでしょうか。
DVD 釜石の‟奇跡”(下)でナマナマしいが生き生きとした映像をご覧ください。
3.鵜住居地区のケース
釜石中心街では子供たちは(学校の管理下にはなく)それぞれが自主的に行動し巨大津波の難を逃れましたが、鵜住居地区では子供たちは学校の管理下にあって集団で行動しました。これは群馬大学の片田教授の著書「命を守る教育」の第1章に手に取るように書かれています。
釜石東中も鵜住居小も明治・昭和三陸大津波の浸水域の外にあり、またハザードマップの外に位置していた(上の図)のですが、
これまでと全く違う大きな揺れに、中学生は(訓練の通り)校庭に集まって、700㍍先の避難場所『ございしょの里』に向かって走り出しました。小学校では雪が降っ...