このテーマは4回に分けて連載しています。最下部に、連載記事へのリンクを貼りますので、是非、通読して下さい。
クリーン化を推進している途中で、管理職、専門職のどちらの道を進むのかという仕事の岐路がありました。一時は管理職コースにと言われましたが、クリーン化推進活動の大切さを認識していたことに加え、日々の活動の中で毎日学ぶことがあり、特に、現場には感動があるので、クリーン化推進に魅力を感じていました。
自分が伸び、学ぶ場所はこれしかないと思っていたのでこれをやり続けることを懇願しました。管理職コースを断って以来、定年まで25年この仕事に従事しました。それでも時々違う仕事に転換をと言われましたが、どうしてもこの仕事をやりたいと言い続けました。思いを通し続けられる環境、また会社のTOPの方々の支援もあったので、それは幸せだったと思います。
1.掃除について(心で向き合う)
クリーン化とは掃除のことですね、と良く言われます。間違ってはいないのですが、掃除のことと簡単に片づけられてしまうと、それだけで終わってしまうようで、私としてはちょっとがっかりします。でも掃除と言っても奥が深いことも事実です。
ここで、松下幸之助さんの言葉を紹介します。掃除には厳しいお考えをを持っていました。松下政経塾の塾頭をされていた上甲 晃さんが、私の赴任先である山形県の工場で講演をされた時の内容です。かなり昔のことですが感動する幾つかの言葉、今でも鮮明に思い出されます。
松下政経塾は政治家育成を目的として、松下幸之助さんが私財で作りました。ここの塾生になると来る日も来る日も掃除をするのだそうです。目的は政治や経済の勉強だと思って入塾して来るのですから、塾生にとっては掃除をするのではなく、させられるという被害者意識が強くなります。
それで、「私たちは掃除をしに来たのではない。政治のことを勉強に来た。いつになったら教えてくれるのか」と、度々松下幸之助に言い寄ったそうです。すると、「掃除も満足にできないものに日本の将来が任せられるか。早く掃除をしなさい」と言って、一蹴したのだそうです。一蹴と言ってもその場だけで、次から次に同じことを言う人が出て来て頭痛の種だったようです。掃除を一生懸命やればやるほどその深みが理解できる。物事も深く考えるようになると考えていたようです。講演の中に、掃除とはその場を綺麗にすることですが、心の垢を落とす、心の埃を落とす、自分の心を磨くなどと言う言葉が出て来ました。なるほどと思います。これらから松下幸之助は心で掃除に向き合っていたのではないかとつくづく感じます。
私もクリーン化に入り込んでからは、毎日と言って良いほど現場を這いずり回りました。他所から現場診断・指導の依頼があると、現場で養ってきた目でその現場を見ます。掃除が日常的に実施されていると感じる場合と、今日、私が来るということで、慌てて掃除したんだなと感じられる場合とがあります。日本の商店では開店前に店の前や歩道までも掃除したり、店舗の中も軽く打ち水をします。客が来るか否かではなく、いつでもお客様をお迎えする気持ちの現れです。
大相撲では一番ごとに土俵を掃き清めます。その時の箒の先の返し方は感心するほど芸術的であり、また二人揃って掃く時も呼吸がぴったり合って感動的で神聖な場所だと気づきます。その箒は土俵の脇に2つ揃えて置いてあります。道具も大切にしているんです。逆に、“四角い部屋も丸く掃き”という手抜きを戒める言葉もあります。ゴミをその場に捨てるのが中国の文化だと言われますが、“掃除は日本の文化”と言えるでしょう。心を磨くことなのです。
2.掃除をおろそかにした事例
ある会社に指導に行った時、その会社の社長から聞いた話です。その地方の社長会は、中小企業の社長が集まって情報交換や相互に助け合う場なのだそうです。そのうちの1社から、掃除の話題が出されました。大手取引先から仕事を貰い精密製品加工をしていた会社で工場はクリーンルームです。
その大手取引先から品質監査の連絡がありました。今まで監査というのを受審したことが無かったので、何をどう準備すれば良いのかわからなかったようです。それでありのままに受けようと、普段の状態で品質監査を受け入れたそうです。
当日、その取引先が監査に来て玄関に入ったところ、これで監査は終わりますと言って帰ってしまったそうです。どうしてかわからず、問い合わせたところ、“一般家庭でも裏口は汚れていても玄関く...