『坂の上の雲』に学ぶ先人の知恵(その7)

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 人的資源マネジメント
 『坂の上の雲』は司馬遼太郎が残した多くの作品の中で、最もビジネス関係者が愛読しているものの一つでしょう。これには企業がビジネスと言う戦場で勝利をおさめる為のヒントが豊富に隠されています。『坂の上の雲』に学ぶマネジメント、今回は、先人の知恵、定石と応用 (その7)です。
 

8. 「アメリカでわのかみ」にならない

 
 これは、なんでもかんでも「アメリカではこうなっています」と、虎の威を借りるような意味で使われており、よくない例のことです。出羽守と書いて「でわのかみ」と読ませているだけの、単にごろ合わせのおもしろ味でしょう。日本人は、歴史的にみても舶来思考であり、今の日本を見るとアメリカ思考です。経済的、政治的にアメリカとの結び付きが強かったから、どうしてもアメリカ思考になるのはいたし方ないでしょう。
 
 アメリカの方法論や標準・基準があり、アメリカは何でもかんでも自分のところのものを国際標準、グローバルスタンダードにしたがります。アメリカの風土でなら合理性があるかもしれないが、それもいまでは怪しくなっています。他国では合わないことがあるのは当然です。特に日本の文化に翻訳しなければしっくりこないでしょう。遣隋使、遣唐使の時代はきちんと日本に合うようにしているし、必要がなくなれば使節の派遣そのものをやめているのです
 
 『坂の上の雲』を読むと、明治期には多くの新しい制度はできたが身分制度は一切持ち込んでいないことがわかります。とくに軍隊は身分制度を持ち込まず、実力さえあれば抜てきされたのです。日露戦争後はそれが堕落するのです。勝ったのでもう実力が必要なくなったからかもしれません。実戦がなくなるから、大学校の席次で決まるようになるのです。
 
 たとえば、二〇三高地でのこと。乃木大将の参謀の伊地知は、実戦では役に立たなかったのです。伊地知はドイツ式砲術の権威と言われていましたが、現場で役に立たないとなれば、児玉源太郎が「おまえ、ちょっとどけ。俺が臨時に指揮を取る」となるのです。戦争中は放っておけないから「おまえ、ちょっとどけ」です。児玉は「ドイツでわのかみ」ではなかったのですが、あとであいつは無能だったとはならないのです。戦争は終わったので変てこな「和をもって尊しとなす」になってしまう。何となく表彰というか栄達のほうに行く。そのへんから日本軍の堕落が始まったのです。
 

9. 伝統との融合

 
 日本のような伝統のある国は、やはり伝統的価値観というものをむやみに放棄しないことです。新しい概念が入ってきたら、その本質を極めると、伝統を進化させる方向で融合できるでしょう。伝統的というのは最も新しいやり方です。伝統芸能を伝承している能狂言や歌舞伎の家元も、伝統を守ることをそのように表現されています。
 
 伝統というのは古くさい、何かを墨守するということではなく、伝統は常に新しいものを取り入れ融合して、最新を保ちます。伝統が常に新しいという言い方をする人もいます。昔からの価値観は、表面的なことではなく、底辺に流れる思想は本質的なものだからこそ長く伝わっていると思います。それをいきなりポーンと捨てるのではなく、新しいものが来たら、新しいものの本質は何だろう、本質的に本当に時代に合った新しいものであれば伝統と融合させることができるのではないかと考えるのです。
 
 何でもかんでも捨てるというのはよろしくないでしょう。アメリカは200年くらいしか歴史がないので、日本や欧州のような長い歴史に培われた伝統というようなものは無いのです。それを一切気にする必要がないのは大きな強みです。何でも入れたり、壊したりが得意だと思うが、日本や欧州はそうではないのです。
 
 日本ではよく、いいとこ取りと言いますが、本質的なものだけをいただくのが、いいとこ取りの本来の意味のはずです。鵜呑みにすることと、100パーセント拒絶するのは、自分で評価していないという点では同じです。平城京も平安京も、都市計画というアイデアは中国からもらいました。人口がいっぱいで何かを統治しようと思えば、都市計画は必要になるのです。ところが、パッとまねをしたのは日本ぐらいだと感じます。他国でも現代でもなかなかできないのです。お金がないのかもしれませんが、お金がないのは平城京の時代も似たようなものだったでしょう。
 
 それでもあえて行うのは、本質的に必要なものだと見抜いたからです。たとえそれがミニチュア版であってもつくるのです。これがアメリカでわのかみにならない、ということです。平城京をつくるのは、たいへんな土木工事だから、「なぜ、小さな日本がそんなものをまねしなければいけないのか」という批判は、平城京の時代でもあったでしょう。しかし実際には実行しているのです。明治の時代は、本質的なものは本質的なものとして、よいものはよいものとして取り入れています。
 
 ただ、例外的に鹿鳴館はまちがった面が出たと言えるで...
 人的資源マネジメント
 『坂の上の雲』は司馬遼太郎が残した多くの作品の中で、最もビジネス関係者が愛読しているものの一つでしょう。これには企業がビジネスと言う戦場で勝利をおさめる為のヒントが豊富に隠されています。『坂の上の雲』に学ぶマネジメント、今回は、先人の知恵、定石と応用 (その7)です。
 

8. 「アメリカでわのかみ」にならない

 
 これは、なんでもかんでも「アメリカではこうなっています」と、虎の威を借りるような意味で使われており、よくない例のことです。出羽守と書いて「でわのかみ」と読ませているだけの、単にごろ合わせのおもしろ味でしょう。日本人は、歴史的にみても舶来思考であり、今の日本を見るとアメリカ思考です。経済的、政治的にアメリカとの結び付きが強かったから、どうしてもアメリカ思考になるのはいたし方ないでしょう。
 
 アメリカの方法論や標準・基準があり、アメリカは何でもかんでも自分のところのものを国際標準、グローバルスタンダードにしたがります。アメリカの風土でなら合理性があるかもしれないが、それもいまでは怪しくなっています。他国では合わないことがあるのは当然です。特に日本の文化に翻訳しなければしっくりこないでしょう。遣隋使、遣唐使の時代はきちんと日本に合うようにしているし、必要がなくなれば使節の派遣そのものをやめているのです
 
 『坂の上の雲』を読むと、明治期には多くの新しい制度はできたが身分制度は一切持ち込んでいないことがわかります。とくに軍隊は身分制度を持ち込まず、実力さえあれば抜てきされたのです。日露戦争後はそれが堕落するのです。勝ったのでもう実力が必要なくなったからかもしれません。実戦がなくなるから、大学校の席次で決まるようになるのです。
 
 たとえば、二〇三高地でのこと。乃木大将の参謀の伊地知は、実戦では役に立たなかったのです。伊地知はドイツ式砲術の権威と言われていましたが、現場で役に立たないとなれば、児玉源太郎が「おまえ、ちょっとどけ。俺が臨時に指揮を取る」となるのです。戦争中は放っておけないから「おまえ、ちょっとどけ」です。児玉は「ドイツでわのかみ」ではなかったのですが、あとであいつは無能だったとはならないのです。戦争は終わったので変てこな「和をもって尊しとなす」になってしまう。何となく表彰というか栄達のほうに行く。そのへんから日本軍の堕落が始まったのです。
 

9. 伝統との融合

 
 日本のような伝統のある国は、やはり伝統的価値観というものをむやみに放棄しないことです。新しい概念が入ってきたら、その本質を極めると、伝統を進化させる方向で融合できるでしょう。伝統的というのは最も新しいやり方です。伝統芸能を伝承している能狂言や歌舞伎の家元も、伝統を守ることをそのように表現されています。
 
 伝統というのは古くさい、何かを墨守するということではなく、伝統は常に新しいものを取り入れ融合して、最新を保ちます。伝統が常に新しいという言い方をする人もいます。昔からの価値観は、表面的なことではなく、底辺に流れる思想は本質的なものだからこそ長く伝わっていると思います。それをいきなりポーンと捨てるのではなく、新しいものが来たら、新しいものの本質は何だろう、本質的に本当に時代に合った新しいものであれば伝統と融合させることができるのではないかと考えるのです。
 
 何でもかんでも捨てるというのはよろしくないでしょう。アメリカは200年くらいしか歴史がないので、日本や欧州のような長い歴史に培われた伝統というようなものは無いのです。それを一切気にする必要がないのは大きな強みです。何でも入れたり、壊したりが得意だと思うが、日本や欧州はそうではないのです。
 
 日本ではよく、いいとこ取りと言いますが、本質的なものだけをいただくのが、いいとこ取りの本来の意味のはずです。鵜呑みにすることと、100パーセント拒絶するのは、自分で評価していないという点では同じです。平城京も平安京も、都市計画というアイデアは中国からもらいました。人口がいっぱいで何かを統治しようと思えば、都市計画は必要になるのです。ところが、パッとまねをしたのは日本ぐらいだと感じます。他国でも現代でもなかなかできないのです。お金がないのかもしれませんが、お金がないのは平城京の時代も似たようなものだったでしょう。
 
 それでもあえて行うのは、本質的に必要なものだと見抜いたからです。たとえそれがミニチュア版であってもつくるのです。これがアメリカでわのかみにならない、ということです。平城京をつくるのは、たいへんな土木工事だから、「なぜ、小さな日本がそんなものをまねしなければいけないのか」という批判は、平城京の時代でもあったでしょう。しかし実際には実行しているのです。明治の時代は、本質的なものは本質的なものとして、よいものはよいものとして取り入れています。
 
 ただ、例外的に鹿鳴館はまちがった面が出たと言えるでしょう。文明開化の名のもとに、日本人に無理やり西洋の洋服を着せてダンスを踊らせたのです。うわべだけのまねごとをしたまちがった面です。しかし、文明開化そのものは日本人のインテリジェンスが高かったからできたことだと思うのです。あのインテリジェンスがないと、何を入れていいか、どういう順番で入れていいかがわからないでしょう。常にプラスの面とマイナス面があり、主流の部分はきちんといいエッセンスを入れたということで正解だった思うのです。
 
 鹿鳴館は、主流でなくておまけの部分だと考えています。主流を見失ってはいけない。その最たるものは、義務教育の制度です。日本人のインテリジェンスが高く、これこそがやはり真っ先に必要なものだと判定できたのです。明治初期から連綿とつづいているのです。
 
【出典】
 津曲公二 著「坂の上の雲」に学ぶ、勝てるマネジメント 総合法令出版株式会社発行
 筆者のご承諾により、抜粋を連載。
 
  

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この記事の著者

津曲 公二

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