『坂の上の雲』に学ぶ先人の知恵(その8)

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 人的資源マネジメント
 『坂の上の雲』は司馬遼太郎が残した多くの作品の中で、最もビジネス関係者が愛読しているものの一つでしょう。これには企業がビジネスと言う戦場で勝利をおさめる為のヒントが豊富に隠されています。『坂の上の雲』に学ぶマネジメント、今回は、先人の知恵、定石と応用 (その8)です。
 

1. 隣百姓とチームワーク

 
 農耕民族だと、一人だけ頑張るのでなく、田植えの時期はその地域みんなで協力しなければできません。つい数十年前までは、いまのように田植え機がなく、短期間にすませるにはとなり近所や村中が人を出しあったのです。そこには村長のような人が必要でも、カリスマは要らないのです。むしろ邪魔になります。隣百姓というのがあります。「私は何も能はありませんけど、お隣のまねをするだけです」、お隣が種をまけば自分も種をまき、お隣が苗を取れば自分も苗を取る、というふうに隣のように稲作をやりますということです。ただものまねをするということですが、これは実に奥が深いのです。これを山本七平は隣百姓について書いています。お手本を誰に選ぶかです。鑑識眼がないと、自分は破滅するのです。だからお手本はこの人がいいという鑑識眼があった上での隣百姓です。ところが、へりくだって「私は何も能がなくて、ただまねをしているだけです」とは、まるで日本的謙遜さの典型ですが、実は鑑識眼が自分の生死にかかわることになるのです。
 
 しかし、農耕はものまねをしていないと、自分だけ1か月遅れて田植えをする、という我がままはあり得ないのです。カリスマを許さない日本で国民的英雄がいないということと関係がありそうに思います。東郷平八郎は、日本海海戦で奇跡の大勝利の立役者として、戦後は軍神とされましたが、意図的につくられた面があります。『坂の上の雲』で司馬は、東郷を優れたトップマネジメントのひとりとして描いていると思います。
 

2. 組織で仕事をする

 
 組織で仕事をすることは、考えている以上にじつは難しいことです。役割をきちんと決めるのがアメリカ式で、役割の範囲を大きく取れるのが日本式です。いずれもその環境や歴史的背景があるから、どちらが有利とか悪いとかではないのです。工場制手工業は家庭の延長で手工業であることにはかわりはないのですが、これは組織的活動です。近代的経営は分業と統合が繰り返されますが、その組み合わせで、組織内であれがいいこれがいいと言っているのです。何が組織のメリットになるのかがポイントです。
 

3. 組織的な動き

 
 ロシアの場合は、伝統的に陸軍の強い国で基本的に陸軍は組織的です。大陸であれだけの優勢な物量がありながら日本軍に勝てなかったのは、大将のクロパトキンに私心とか邪心があったからです。部下のリネウィッチ将軍が手柄を立てると、宮廷における自分の地位が危うくなるのです。自分が首になるかもしれないから、大事なところでリネウィッチに協力しないのです。そういう悪い面が目立ったのですが、ロシア陸軍は基本的に組織的でした。ところが、海軍のロジェストウェンスキー提督は組織の意味がまるでわかっていなかったようです。艦隊と言っても、いくつかの艦船の集まりにしかすぎないと思っていたようです。
 
 一番象徴的なのは、第二戦艦戦隊を率いていたフェリケルザム少将が航海中に病死した際の対応です。バルチック艦隊が対馬沖で決戦する数日前のことです。彼の後継者として「あなたが次の司令長官だ」という人事をしないのです。まだ生きているものとして扱うのです。ロジェストウェンスキーは、ただ艦が動いていればいいというセンスでしかありません。彼は宮廷武官として皇帝のお気に入りでしが、実戦経験はまるでなかったらしいのです。そういう人が組織のトップでした。組織的な運営という意味では、海軍において日露はもう大人と赤ん坊以上の差があったのです。
 
 ロシア海軍にも幕僚組織があり、幕僚は組織的活動とは何かを基本的にはわかっていました。ところが、ロジェストウェンスキーはワンマンだからそれを使わないのです。本人が理解していないから使いようがないのです。長い航海中に司令官会議も、艦長会議もなかったようです。組織的活動にならなかったのが、日本軍にこてんぱんに負けた大きな一因です。それに比べて、日本は役割と分担が非常に明確で、明確なだけではなくて、それがきちんと実行されました。きちんと実行されたのは、これは誠実でまじめのお手本みたいなものです。役割と分担が決まっていても、誠実にやらない国や組織は今でも山ほどあります。当時の日本は両方相まっていたので、完ぺきでした。
 
 では、現在の日本はどうでしょうか。役割と分担はけっこういい加減なところがあり、それでも個人的に非常にまじめな人が多く、自分の縄張りを越えて仕事をするから最終的には組織活動はできています。たとえば、三遊間でサードとショートがいて、サードが昼寝をしていてもショートの人が一生懸命やっているのが、日本的な美しさで組織が動いていることだと思います。
 
 日露開戦当初、旅順港口を閉塞して、閉じこもっているロシアの旅順艦隊を封じ込めてしまおうという作戦がありました。敵の厳重な監視下にある港口へ爆薬などを積んだ汽船を沈めてくるのだから、命がけです。危険きわまりない。東郷は、初めから兵士の生還が難しい作戦を許しません。それで参謀の秋山真之も正規の命令として立案できずにどうしようかともんもんと悩む場面があります。その様子を見て、それなら現場でやるとどんどん準備を進める。現場で企画して、危険を承知して現場でやるなら文句はないはずだという言い分です。東郷も条件はつけるが、最終的には承認し現場主導で実行されるのです。縄張りをこえて難しい仕事をする一例が書いてあります。
 
 ちなみにこのとき、現場のリーダーの広瀬武夫が遭難しました。爆沈させる汽船から総員退船のさい、脱出用ボート上で点呼するとひとり足りない。誰かがまだ脱出していないことに気づいて広瀬はまた汽船に戻って部下を探しに行く。広瀬は部下が可愛くて仕...
 人的資源マネジメント
 『坂の上の雲』は司馬遼太郎が残した多くの作品の中で、最もビジネス関係者が愛読しているものの一つでしょう。これには企業がビジネスと言う戦場で勝利をおさめる為のヒントが豊富に隠されています。『坂の上の雲』に学ぶマネジメント、今回は、先人の知恵、定石と応用 (その8)です。
 

1. 隣百姓とチームワーク

 
 農耕民族だと、一人だけ頑張るのでなく、田植えの時期はその地域みんなで協力しなければできません。つい数十年前までは、いまのように田植え機がなく、短期間にすませるにはとなり近所や村中が人を出しあったのです。そこには村長のような人が必要でも、カリスマは要らないのです。むしろ邪魔になります。隣百姓というのがあります。「私は何も能はありませんけど、お隣のまねをするだけです」、お隣が種をまけば自分も種をまき、お隣が苗を取れば自分も苗を取る、というふうに隣のように稲作をやりますということです。ただものまねをするということですが、これは実に奥が深いのです。これを山本七平は隣百姓について書いています。お手本を誰に選ぶかです。鑑識眼がないと、自分は破滅するのです。だからお手本はこの人がいいという鑑識眼があった上での隣百姓です。ところが、へりくだって「私は何も能がなくて、ただまねをしているだけです」とは、まるで日本的謙遜さの典型ですが、実は鑑識眼が自分の生死にかかわることになるのです。
 
 しかし、農耕はものまねをしていないと、自分だけ1か月遅れて田植えをする、という我がままはあり得ないのです。カリスマを許さない日本で国民的英雄がいないということと関係がありそうに思います。東郷平八郎は、日本海海戦で奇跡の大勝利の立役者として、戦後は軍神とされましたが、意図的につくられた面があります。『坂の上の雲』で司馬は、東郷を優れたトップマネジメントのひとりとして描いていると思います。
 

2. 組織で仕事をする

 
 組織で仕事をすることは、考えている以上にじつは難しいことです。役割をきちんと決めるのがアメリカ式で、役割の範囲を大きく取れるのが日本式です。いずれもその環境や歴史的背景があるから、どちらが有利とか悪いとかではないのです。工場制手工業は家庭の延長で手工業であることにはかわりはないのですが、これは組織的活動です。近代的経営は分業と統合が繰り返されますが、その組み合わせで、組織内であれがいいこれがいいと言っているのです。何が組織のメリットになるのかがポイントです。
 

3. 組織的な動き

 
 ロシアの場合は、伝統的に陸軍の強い国で基本的に陸軍は組織的です。大陸であれだけの優勢な物量がありながら日本軍に勝てなかったのは、大将のクロパトキンに私心とか邪心があったからです。部下のリネウィッチ将軍が手柄を立てると、宮廷における自分の地位が危うくなるのです。自分が首になるかもしれないから、大事なところでリネウィッチに協力しないのです。そういう悪い面が目立ったのですが、ロシア陸軍は基本的に組織的でした。ところが、海軍のロジェストウェンスキー提督は組織の意味がまるでわかっていなかったようです。艦隊と言っても、いくつかの艦船の集まりにしかすぎないと思っていたようです。
 
 一番象徴的なのは、第二戦艦戦隊を率いていたフェリケルザム少将が航海中に病死した際の対応です。バルチック艦隊が対馬沖で決戦する数日前のことです。彼の後継者として「あなたが次の司令長官だ」という人事をしないのです。まだ生きているものとして扱うのです。ロジェストウェンスキーは、ただ艦が動いていればいいというセンスでしかありません。彼は宮廷武官として皇帝のお気に入りでしが、実戦経験はまるでなかったらしいのです。そういう人が組織のトップでした。組織的な運営という意味では、海軍において日露はもう大人と赤ん坊以上の差があったのです。
 
 ロシア海軍にも幕僚組織があり、幕僚は組織的活動とは何かを基本的にはわかっていました。ところが、ロジェストウェンスキーはワンマンだからそれを使わないのです。本人が理解していないから使いようがないのです。長い航海中に司令官会議も、艦長会議もなかったようです。組織的活動にならなかったのが、日本軍にこてんぱんに負けた大きな一因です。それに比べて、日本は役割と分担が非常に明確で、明確なだけではなくて、それがきちんと実行されました。きちんと実行されたのは、これは誠実でまじめのお手本みたいなものです。役割と分担が決まっていても、誠実にやらない国や組織は今でも山ほどあります。当時の日本は両方相まっていたので、完ぺきでした。
 
 では、現在の日本はどうでしょうか。役割と分担はけっこういい加減なところがあり、それでも個人的に非常にまじめな人が多く、自分の縄張りを越えて仕事をするから最終的には組織活動はできています。たとえば、三遊間でサードとショートがいて、サードが昼寝をしていてもショートの人が一生懸命やっているのが、日本的な美しさで組織が動いていることだと思います。
 
 日露開戦当初、旅順港口を閉塞して、閉じこもっているロシアの旅順艦隊を封じ込めてしまおうという作戦がありました。敵の厳重な監視下にある港口へ爆薬などを積んだ汽船を沈めてくるのだから、命がけです。危険きわまりない。東郷は、初めから兵士の生還が難しい作戦を許しません。それで参謀の秋山真之も正規の命令として立案できずにどうしようかともんもんと悩む場面があります。その様子を見て、それなら現場でやるとどんどん準備を進める。現場で企画して、危険を承知して現場でやるなら文句はないはずだという言い分です。東郷も条件はつけるが、最終的には承認し現場主導で実行されるのです。縄張りをこえて難しい仕事をする一例が書いてあります。
 
 ちなみにこのとき、現場のリーダーの広瀬武夫が遭難しました。爆沈させる汽船から総員退船のさい、脱出用ボート上で点呼するとひとり足りない。誰かがまだ脱出していないことに気づいて広瀬はまた汽船に戻って部下を探しに行く。広瀬は部下が可愛くて仕方がないという人だったから、みずからの危険を顧みない行動に出るリーダーでした。同じ旅順港でロシア艦隊を率いていたのがマカロフ提督です。また、陸軍で旅順要塞を守っていた前線部隊にコンドラチェンコ少将がいました。2人は現場の実情に明るい実践の人でした。コンドラチェンコの場合は上司に総司令官のステッセルがいますが、彼はステッセルからも全面的な信頼がありました。着任後、現場の士気がいっぺんに上がったことはすでに紹介しましたが、現場の面倒見がよく、兵卒の間でも人気がありました。頻繁に現場に行くことが災いして2人とも戦死するが、それで現場の士気が下がるのも共通していました。陸軍のクロパトキン、海軍のロジェストウェンスキー、2人とも組織のトップとして敗戦の責任のかなりの部分を負っています。ところが、陸軍ではコンドラチェンコ少将、海軍ではマカロフ提督など、対照的に優れたリーダーがいました。そして彼らが組織を率いている限り、組織は立派に機能していました。組織を預かるリーダーがきちんとしていたところではロシアもうまくいっていました。
 
【出典】
 津曲公二 著「坂の上の雲」に学ぶ、勝てるマネジメント 総合法令出版株式会社発行
 筆者のご承諾により、抜粋を連載。
 
  

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この記事の著者

津曲 公二

技術者やスタッフが活き活きと輝きながら活動できる環境作りに貢献します。

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