前回のその1に続いて解説します。日本の技術移転の先駆者は、そのミッションを心得え、方針を立て、戦略を練って、パッションを持ってコトに当り、日本の誇れる仕事をしてきました。第2回目は、筆者がこの話を知る前の体験(知っていれば苦労は少なかった)です。
2-2 プロジェクトの契約・運営
2-2-1 ラテンアメリカでの経験
1978年ベネズエラのシドール社は、これまでの年間100万トンの一貫製鉄所から一拳に400万トン規模への拡張を行い、その製鉄所全体の立ち上げ操業指導をプロジェクトとして世界の大手鉄鋼会社に入札させた。一方S社は、技術協力事業の拡大をめざして強力なアプ ローチを展開したが、先方の要求である「立ち上げ目標値に対して達成しない場合はペナルティを取る」という条項については絶対に受けられないとして、 交抄はほぼ欠裂しかけた。ところが先方の社長がどうしてもS社に頼みたいという惚れ込みで、ペナルティ条項はなしで5年間のプロジェクトが成立した。
内容は原料・副原科工場から冷延・鍍金・電磁の工場まで製鉄所の全工程、それに整備・生産管理・品質管理・輸送・倉庫といった間接部門も含めた全製鉄所の操業管理について、先方のマネジャークラスを英語(ベネズエラはスペイン語だがスペイン語ではこちらが対応できないので英語ということにした)で指導するというもので、当方は課長・係長クラスの精鋭をもって構成した。当初の基本方針は操業標準・作業標準を作り、これに基づいて指導していくオーソドックスなもので、各部門ごとに指導すべき内容をつめて計画を作成し、先方の承認を得て進めた。
しかし3か月、6か月と経つうちに先方の不満の声が大きくなってきた。いわく、「生産計画がまったく連成されていない」「トラブルが発生してもすぐ手を打ってくれない」「言葉(スペイン語)もできないでどうやって指導ができるのか」等々。結局は「明日 の魚の釣り方なんかどうでもいいから、今、魚をとってくれ」ということで、極端にいえぱ「日本から作業者を連れてきて全部やってくれ」ということなのだ。
それは契約と違うじゃないか、といっても目にみえる成果が出ていないのであるから、対策を取らざるを得ない。 本社から特別ミッションが何度かきて、結局主要工場に作業長クラスを派遣するというように当初の構成を変える決断をした。直接作業をする人入れ稼業はしないというのが大原則であ るから、作業長はハンドルをとってデモンストレーションをしてみせるというところに線を引いて妥協したのである。
この騒ぎが一段落しスタートから1年半ほど過ぎたころ、先方から「○ ○部門と××部門はもう打ち切りにし たい」という突然の申し入れがあり、またひと騒動となった。何しろ任期途中で帰国ということになると、その人の経歴に汚点がつくことになってしまうから「現地派遣団はいったい何をしとるか」ということで、またまた本杜から緊急ミッションが飛んでくることとなった。飛んでくるといっても、地球の裏側の話で、費用もかかるし大変な話である。先方からはミッションがくる費用があるなら作業者を1人でもいいから派遣してくれないかと皮肉を言われもした。
実情は何も派遣された当方のスタッ フの能力がないというのではなく、先方には設備納入先の技術者がまだ残留しており、当方と重複した形になっていたのと、主要工場の生産が思うようにあがらず、副原料やマイナーの工場では急いで生産をあげる必要がなくな ったので、コスト節約のためその部門の当方との契約を打ち切りたいと言ってきたのである。
先方はその後しぱらくして、浮いた費用で条系列の電気炉の指導を一括してメキシコの製鉄会社と契約してしまった。メキシコの会社がどうして操業指導ができるのか、というかも知れないが、それは実情を知らない人のいう セリフで、シドールの作業者はこのあいだまでジャングルで生活していたよ うな素人、一方メキシコの方は何年か製鉄所で働いてきた人たちで、ある見方をすれば、ベネズエラのような条件のところで働...