前回のクエスチョンの回答例です。
1.彼(彼女)は(どこでも寝ら)れるから、大丈夫だ
2.彼(彼女)は(何でも食べら)れるから、大丈夫だ
なんだ、そんなことか!とお思いの方も、やっぱりそうだよね!とお思いの方もおられると思いますが、寝られなかったら体が持ちませんし、現地の人達と何でも一緒に食べられることが親しみ(コミュニケーション)の始まり(この点は郷に入っては郷に従え)だということです。
(本論に入ります)
5.不信から信頼へ
日本が経済大国になり、製造業が世界一になってしまった今日、何でもいいから日本に学べというわけで日本への盲信になっている場合がある。このような場合は、「期待はずれ」になり極めて危険なので、背景となっている文化・社会構造の違いと、日本的経営は「時間を掛けて築き上げてきたもので即席で効果が出るようなものではない」ということを、事前によくよく説明して理解してもらう必要がある。(注:当時から20数年たった今、日本は全く逆の状況にあるが、それについては別途論じたい)
大体において相手側のトップ、国で言えば首相、会社で言えば社長には盲信型が多く、一方、われわれが直接つき合う相手は、上から言われたから付き合っているだけという場合が多い。従って、技術指導に行った場合など「オレの仕事を増やすか邪魔をするかだろう」と最初から白い目でみているのである。このような不信の状態からどのようにして信頼を獲得していったらよいのだろうか、またSさんの体験譚に耳を傾けることにしよう。
『日本語で「不信」、あるいは「信頼できない」というと、その対象になっている人が悪いという意味に取られる惧れがあるが、いま他にいい言葉が思い当たらないので敢えて「不信」と言わせてもらう。自分と他人とは違うという混じり合いの社会では、はじめて逢った人が、何を考えているのか、何をしようとしているのか全くわからない、つまり「不信」が前提で、そこからすべての付き合いや取り引きが始まる。
この点、均質社会の日本ではまず相手は自分と同じでだいたい同じことを考えいるということを前提とした情緒的な信頼感から出発するのとは、まったく違っている。私もはじめてシンガポールに行き、造船所設立のための交渉に取組んだときは、交渉の厳しさ、協定書に盛込もうとする内容の厳しさに、そもそも先方から誘致されて来ているのにこの厳しさは何事かと、少々がっかりした記憶がある。
しかし考えてみれば当時のシンガポールにとって、日本の一造船所とは、その業種や技術水準は評価できても、これから先、何をしようとしているのか、一緒に仕事を始めてから何をやらかすか全く分らないというのが本当であったろう。従ってこれから一緒に造船所を作り、経営することに厳しい条件をつけ、お互いを縛って行くということは至極当然ということが次第に分ってきた。そして今では、そのようにお互いに厳しい条件を付け合った上で仕事をやってきてみて、それが長くうまく続いてきた元であったと感じている。
会社を設立してからの内部規定についても日本では考えなかった厳しさを感じさせられることが幾つかあった。そのひとつに会社の支払い小切手へのサインがある。当初の取り決めにより、合弁会社の社長は日本から出すことになり私が就任したが、副社長はシンガポール政府が任命し、同時に財務も担当することになった。ところがある金額以上の支払小切手について、財務担当副社長がサインした上に、私にもカウンターサインしろというのである。私としては、ボードで財務の責任を任せた以上その必要はないから1人のサインでよいではないかと言ったが、どうしても必要だということで結局その通りとし、今日でも2人のサインは続いている。
これが必要なことはその後しばらくして理解できた。それは「李下に冠を正さず」の解釈に違いがあることに気が付いたからである。日本ではこの言葉は、人にあらぬ疑いを持たれるような行動は慎みなさい、という程度に受け取られ解釈されている。ところが中国流のオリジナルの解釈はもっと遥かに厳しいものらしい。すなわち、「何か悪いことをしようとすれば出来る、といった環境の下で、紛らわしい行動をとった場合、悪いことをしたと断定されても止むを得ない」ということを下敷きにした格言だと思う。(中略)このような世界で、1人で高額の小切手にサインして支払いをすることは、第三者から何を言われても...