日経新聞2013年12月の「私の履歴書」は、米国のフィリップ・コトラー博士の連載でした。博士は“マーケティング”の専門家として著名ですが、初期のころは経済学を修めたようです。 連載の最後の日に以下の記載があり、特に目を引きました。
「様々な要因や微妙なニュアンスを解明するには、経済学では抽象的すぎる」
“経済学”を“統計学”で置き換えれば、それは田口玄一博士の主張と相似です。つまり、
「人間の要因も含めて、様々な要因が影響する品質問題では、統計学では抽象的すぎる」
学問が抽象的であることは、物理や化学はもちろん、機械も電気も含めてどの領域でもそうだと思います。なぜなら、いずれの学問も数理を用いるからです。
機械工学などは、材料力学、燃焼、流体など、私たちが直接目にしたり感じたりできる現象を扱いますが、必ず理論値や理論式が出てきます。ところが、実世界の現象はなかなか数理通りには行きません。
しかし、理論が全く当てはまらない、無原則な現象でもありません。数式で扱うこと自体が抽象化ですが、それは現象の背骨として重要な位置にあります。コトラー博士も田口博士も、学問や数理を尊重しながら独自の体系を作り上げたと言えます。
マーケティング、タグチメソッドとも、学問の持つ抽象的な理論を尊重しながらも、実際の課題に活かしてゆくための考え方、哲学を体系化したと言えます。コトラー博士は経済学を熟知しつつ、田口博士は統計学を熟知しつつ、それぞれの学問と現実世界との橋を築いたのです。
マーケットには「人の心の動き」があり、それは従来の学問には乗りにくかったのでしょう。製品の品質問題には「使われ方や環境の変化」という、きれいな数理には乗らない要素があります。
理論は美しく、現実は汚いあるいは複雑。現実世界に理論を役立てることに、心を砕いたとも言えましょう。理論を重視したい学者からは、反対も根強かったと思われます。
コトラー博士は「平和で、より良き社会の実現」と述べてい...