今回は、クリーン化の歴史を解説します。クリーン化には長い歴史がありますが、前回もお話したように、そのノウハウは門外不出の扱いだったので、広く世に公開されることはなく、現在でも限られた業種以外は認知度が少ないようです。
クリーン化と言う言葉、その意味が特定の分野に限られて使われていて、一般には普及していません。世の中に浸透していないので、その1に記述したように、推測で表現されてしまうことにも繋がります。詳細は、その1をご覧下さい。
1、クリーン化の原点は軍需工場
歴史を辿(たど)ると、その起源は第二次世界大戦から、その後の朝鮮戦争の頃のようです。
米国の話です。戦闘機、潜水艦をはじめ様々な軍需品がありますが、その中には小さな部品が沢山使われています。それらの製造過程で、ゴミによる不良が多く出ていました。今でいう低歩留まりです。これは米国の国防予算の多くを失っていたので、その改善策としてクリーン化が始まったとのことです。ゴミでも国防予算にも大きな影響を与えました。たかがゴミではないのです。現場が綺麗(きれい)でないとまともな製品が作れないという実例です。
その後、米国では半導体が開発され世の中に出始めました。米国の軍需生産でゴミを減らす活動をしてきましたが、半導体業界には上手く継承されなかったようです。
2、半導体の歩留まり向上
半導体がやがて日本に伝わってきました。
日本の半導体初期には、大手企業の多くは全員で清掃していたとのことです。ところが米国ではその活動を無視していた時期があるようです。「床を這(は)いずり回って掃除をすることはエンジニアの仕事ではない」と横目で見ていた時期です。もちろんエンジニアのプライドもあったと思います。そして掃除などは…と上から目線だったのでしょう。
ところが日本ではそれをやり続けていました。それにより日本の半導体の歩留まりは向上して、その生産性において米国に肩を並べ、そして追い越したといわれる時期がありました。日米半導体摩擦(1980年代)、日米半導体戦争(1986年から93年頃)と言われてました。私はここからが分岐の時期だと考えています。
その後、米国はそのことを反省し、クリーン化にもきちんと取り組みました。例えば、現場からは相当離れていると思われる営業、人事、経理部門なども含め全社員に教育を実施し、厳しい試験を実施しているところもあると聞きました。
具体的には100点満点のうち95点以上取らないと現場へは入れてくれないというのです。こうなると「自分は半導体をやりたいとの思いでこの会社に入社したのに、試験にパスしないと現場へ入れてもらえないのでは、何のためにこの会社に入ったのか分からない」と言って、一生懸命勉強したそうです。
さらに、床面積が非常に大きいところの話ですが、インストラクターを10名置いているところもあると聞きました。交代勤務をしているので、全員が同時間に揃(そろ)うわけではないです。現場を良く巡回し、作業者の動作や行動なども観察していたようです。
具体的には半導体製造の前工程、クリーンルームではウエハーを扱いますが、ある作業者がウエハーの入っているBOXの蓋を開ける様子を見ていて「そのスピードがやや速い。あの速さだと周囲の空気が巻き込まれ、ゴミも入ってしまうだろう」と推測し、これ以上早く開けてはいけないということを、実際にやって見せ、クリーン化のコツを教えていくそうです。クリーン化の他、品質全般、安全など様々なことを確認、指導します。
ところが、このインストラクターでさえ試験がありました。こんな大ベテランですから、満点を取れるはずですが、万が一満点が取れなかった場合は、即インストラクターの資格は取り消しだそうです。そして直ぐには復帰できないので、日々勉強を怠らなかったようです。
3、弱体化する日本のクリーン化
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