前回、世界一綺麗な空港のことをお話しました。この記事を書いていて思い出したことを記します。キーワードは、“多面的に見る、考える” “先を考える” “自ら成長する“ “人を思いやる心” です。
1. 掃除について
赴任先で、当時の松下政経塾、塾長、上甲 晃さんの講演会があり、その時聞いた話です。松下政経塾は、未来のリーダーを育てることが狙いです。ここには、リーダーとしての素養を育てると言う、松下幸之助さんの思いがあった。政治、経済、教育だけでなく、幅広い分野の方々が学んだとのことです。
政経塾を目指す方の中には政治家を目指す方も多かったが、狭き門でなかなか塾生にはなれない。やっと難関をくぐり抜け、塾生になったところ、しばらくは毎日掃除、掃除だそうです。中には、すぐに切れてしまう方もいたようです。ある方は、「俺は掃除をしに来たのではない。政治を勉強しに来たのだ。早く政治を教えろ!」と、松下幸之助に噛みついたというのです。上甲さんは、その時の松下幸之助の対応が凄かったと言っていました。
「掃除もまともにできないやつに、日本の政治を任せられるか。早く掃除をしろ!」と一蹴したのだそうです。噛みついた方も、もう何も言えなかったそうです。まさしく、リーダーとして求められる素養の部分ですね。
前回記しましたが、政治のこと、それだけ教えてくれれば良いと言う表面的な部分に接するだけで、あたかも成長したように思い、松下政経塾出身と名乗るのではなく、“国民のことを理解できる、真の政治家”になって欲しいと言う思いがあったと言うのです。
政治家以前に人である。その人としての真価が問われるのです。国を引っ張るリーダーに相応しいかどうか。それは表面だけか、中身も磨いているかどうか。その人の発言や行動に現れてくるでしょう。
人心を理解できる人になって欲しい。その土台があるかを試されているのです。表面だけでなく、より深く、広く(背景を知る)考えることができなければ真の理解はできず、誤った道を選択してしまうのかも知れません。
クリーン化でも、一面(表面)や二面だけでなく、多面的に見たり考えたりすることが重要だと考えています。これしか方法はないのではなく、不具合の発見や改善に対して沢山の選択肢(代替案)が出てきます。それと通じます。
現在(2024年4月~)放映中の朝ドラの主人公が、度々「はて?」と言いますね。待てよ?と疑問に思う、聞き流さないと言うことを言っているようにも思います。あるいは心の余裕がない中で行動するのではなく、立ち止まって考えて見ることの重要さを言っているようにも解釈できます。
また、永平寺のことも思い出しました。以前、あるTV局(海外の放送局だったと思います)で永平寺を取材したときのこと。大勢のお坊さんが、毎日床の雑巾がけをしている風景を見て異様に思った。こんなに綺麗なのにどうして掃除をやるのかとお坊さんに質問したところ、“これは心を磨いているのです”とのこと。それを聞いて理解ができなかったと言うのです。でも、日本には様々な掃除の文化や習慣があり、また座禅や武道なども心の文化であり、この気持ちは理解できますよね。ここに、合理的、効率的な考えを持ち込んでしまうと、心が不在になってしまうでしょう。
2. 心が失われている
今、いろいろな面で心が失われていると感じます。例えば、最近では、被害者の発言中にマイクが切られるとか、その被害者に吊し上げられたと言う発言。ここには相手を思いやる心が存在しません。一旦心に傷を負うと、元には戻りません。
余談ですが、故人を偲ぶ機会として法要があります。そこには親戚一同が集まるわけです。この場は長年会えなかった人たちが、元気だったか、膝の具合はどうかなどと相手を思いやる会話が行き来します。この法要は、日本特有の風習・習慣であり、そこには相手を思いやる心が存在すると聞いたことがあります。
3. 公的交通機関の役割、使命は?
私の居住地では、特急が停車するのに、数年前に駅のみどりの窓口はあっさり廃止、ネットで予約しても、変更や払い戻しはお近くのみどりの窓口へ、となっています。そのお近くは遠いのです。そこまで電車で行くとすれば、時間もお金もたくさん掛かります。そしてキャンセル料も安くはありません。その影響を考えると、支払っただけでキャンセルもしない、できない場合が考えられます。払いっ放しですね。そのような狙いなのでしょうか。
乗り換え駅だから特急が停車すると言う理由もありますが、その乗り換え路線は赤字路線だとして廃線が検討されています。その先を考えると、乗り換えがなくなるので特急の停車も必要無いとの理由で、停車しなくなることも考えられます。電車は乗るものではなく、見るものになる日も近いのかも知れません。でも、年齢が高くなると自動車の免許を返納しなさいと言われます。どちらも不便です。どんどん手足をもぎ取られるように感じます。その動きが加速している気がします。過疎化はするのではなく、させていると言っても過言ではないでしょう。
ここは田舎ですが、首都圏全体で見ると相当な利益があると推測します。株式の配当(=その企業の利益、余剰金を株主に分配する)も高額だと報道されています。利用者に不便を強いながら、その利益は会社や株主だけに分配することに心は痛まないのでしょうか。ここにも心の存在や当事者意識が感じられないのは私だけでしょうか。
赤字を強調し、排除すると言うトカゲの尻尾切りではなく、利益と赤字を相殺してどうなのかを知りたいです。すると改善案の選択肢はもっとたくさんあると思います。ここにも、ある種の(偏った)成果主義のようなものを感じます。利益優先の前に、公的交通機関の役割は何でしょうかと問いたいです。
このような話が出たときこそ、議員さんの出番です。選挙の時は、地元の声を国会へと言うのですから。その自分の地元はどうなのか、声を聞く、肌で感じると言う行動をしたでしょうか。地元の将来の姿を考えてくれているのでしょうか。そのための文書通信交通滞在費もあるのですから、行動していただきたいですね。ものづくり企業では経営者や管理職の方が “現場に足を運ぶこと” と同じで、足を運んでこそ現場を知ることができます。国会議員さんだけでなく、自治体の議員さんにもお願いしたいですね。
昭和時代前半までは、国民の足を守る、確保すると言って、鉄道網を地道に確保してきました。その先人の熱い思いはTVドラマ化され、情熱的な内容だったので覚えている方も多いでしょう。私も毎回感動しながら見ていました。エネルギーをもらったものです。地道に苦労を重ねてきたことが、簡単に終息、消滅されてしまうのは残念なことです。そのことを知っている利用者にしてみると、ある意味冷たさを感じます。これでは利用者のためにと言う心の温かさは感じません。向いている方向が見えません。
今、年寄りの声を聞くと、電車には乗れないと言います。田舎も切符は窓口では購入できなくなったので、近寄れないのです。昔は、相談したり、アドバイスをもらいながら経路を決め、また変更や払い戻しもできたのですが、利益優先としか考えられないのは、田舎だからでしょうか。都会と田舎の時間軸は違うと感じています。急速に変化されても、ついて行けないのです。
日本では、ものごとを進めるとき、折衝、調整、根回しと言う考え方があります。いきなり切るのではなく、何かやる場合も、その影響を考えることが重要です。改善だと思っていることが、案外障害かも知れません。時間を掛け、熟考してもらいたいです。みどりの窓口のように、苦情が出てから対応しても、表向きであって後からの改善は期待できないでしょう。“急いては事をし損じる”と言うことですね。その影響は大きいのです。業種によっては、環境アセスメント(環境影響評価)のように、事前に十分影響を考える仕組み(先を考える)があります。これはどの業種でも共通の観点で使えます。活用していただきたいです。
東京一極集中の改善として、地方への移住も推奨していますが、地方に来て不便だと言って、また戻るという方も多いと聞きます。国の政策とは逆行していますね。相反していて連携がないと感じます。歯車が合わないですね。
クリーン化でも、“その先を考える” というキーワードは共通です。このままにしたら、あるいはこう変えたらその先どうなるのかを考え、手を打つと言うことです。そこに企業の永続、継続のヒントがあると考えています。愚痴や、不満、あ...