前回のクリーン化について(その124)人財育成(その25)の続き、“現場に足を運ぶことの重要さ”です。
◆ 現場に足を運ぶことの重要さ
この数年、大企業の不祥事が沢山表面化してきましたが、これはまだまだ出るでしょう。2023年6月出版した本の構成の中にも含めた通り、その重要性は2~3年ほど前から表面化していたので、日本のものづくりに危惧を抱いていました。その頃の想像よりもはるかに規模が大きいと言わざるを得ないです。
そこに綴ったのは“誰のために、何のためにものを作るのか”が見えなくなってきていて、作ることが目的になっているのではないかと書きました。つまり“ものづくりの心”を失ってしまったように思うのです。これでは、そのうち大きなしっぺ返しが来るようにも思います。これでは、中小企業が目指す目標を失ってしまったとも思います。
日本の大企業の数、および関わる人の数は中小企業のそれらよりも比べものにならないほど少ないと言うのですが、海外からは、その大手企業を見て、日本の品質を評価していると思います。日本品質、メイドインジャパンと言う言葉も消えていくのでしょうか。
また企業の生産活動の中で、大きな格差が生まれているとの報道も最近クローズアップされて来ました。長年クリーン化の診断・指導、アドバイスとして現場を見てきた中でも、その事は痛いほど感じてきました。
それらと、自分も現場にいる時に遭遇したことも含め、いろいろな事例を紹介します。ここでは人財育成の部分にしましたが、私の現場経験が長かったので、現場側からの視点で綴ります。特に経営者、管理職の方にお読みいただきたいと思います。
また、現場側の方も、自分の将来あるべき姿をイメージしていただきたいとの思いがあります。自分が上司になったら、部下を持ったらどうしたいと言う視点です。何回かに分けて執筆します。正解はないと思いますが、実態を認識していただき、いろいろ考える機会にしていただきたいと思います。そして、ご意見、ご感想をいただければ、私にとっても嬉しいことです。そして私も参考にさせていただきたいです。
【私の父のこと】
私の父は昭和2年生まれ。戦時中は、三菱重工の名古屋(航空機部門)で、零戦(ゼロ式海上戦闘機)の製造に関わっていたとのこと。今の高校生くらいのことです。ここには零戦の設計者、堀越二郎氏も勤務していて、現場に良く足を運んでいたようです。そして「やりにくいことは無いか」などとにこやかに気軽に声を掛けてくれたようです。父親は「ちゃんと仕事をしてね」と言うような励ましだと認識していたようです。その事が特別嬉しかったようです。その話の後「プロペラの間を玉が通るすごい設計だ」と晩年まで言っていました。(令和2年、93歳没)
よほど心に残る出来事だったのだろうと思います。ただし、戦争のことは話したがらなかったです。
その行動を私が考えると、現場に足を運び、会話の中から様々な情報を拾っていたのではないか。それを設計に反映させていたのではないだろうかと言う風に思っています。それは現場との距離が近いからできることで、偉そうに威張っていたのでは、出てくる情報も隠れてしまうと思うのです。まず話をしたいと言う雰囲気、環境を作りながら、より多くの情報を拾うことを、自然にやっていたのだと思う。つまり現場と近い関係を作り、それが情報を拾い出すネットワークになっていたのだと推測します。ここに、現場に足を運ぶ価値を感じるのです。
【紙とタイプライター、足と目】
もう50年くらい前に使われた言葉です。これも現場に足を運ぶことの大切さを言っています。
その昔、米国では、上層部に報告する時はタイプライターで紙に打って、報告していた。その中に会社や役員に不都合なことがあれば、そのレポートを作成した人はクビになってしまうと言うことがあったようです。そこで、クビになりたくないので、不都合なことは省いて、都合の良いことだけを報告していた。これをオブラートに包んだ報告などと言われたようです。その頃の日本では、現場の管理、監督者は、“自分の足で、自分の目で現場を見ていた”。それが、当時の日本のものづくりが強かった所以ではないかと言われています。
今の経営者、管理、監督者はどのくらい現場を見ていますでしょうか。
“現場とは、その場に現れる”と書きますが、現場に行ってみないとわからないことが多く、その現場で設計品質が具現化されるのです。つまり、...