【この連載の前回:データ分析講座(その230)DXという見栄の代償へのリンク】
「鉛筆を舐めておけ文化」とは、数値の改ざんが当たり前のごとく行われている文化です。データを活用し社会をより良くするDXとは、真逆の文化です。DXを推進しながら、「鉛筆を舐めておけ文化」である組織は、その文化から脱却しない限り、DXは愚かちょっとしたデータ活用するままならないことでしょう。今回は、「DXを阻む『鉛筆を舐めておけ文化』」というお話しをします。
【目次】
1.官民で相次ぐ数値の改ざん問題
2.その検査工程は必要か?
3.1つのデータを軽視すると、すべてのデータを軽視する
4.データの力を信じていない
1. 官民で相次ぐ数値の改ざん問題
平成以降、数値改ざんのニュースが多いと感じられます。製造業として戦後最大規模の破綻(負債総額1兆円超)と言われたタカタは有名です。タカタ製エアバッグの異常破裂が原因で死亡者まででた事件です。世界的なリコールになりました。
2021年6月、タカタの事業を引き継いだジョイソン・セイフティ・システムズ・ジャパンで、シートベルトの耐久性などの品質に関する数値を、長年(滋賀工場では約20年間)書き換えていたというニュースが流れました。タカタ時代から数値の改ざんは行われ、ジョイソン・セイフティ・システムズ・ジャパンになってもその文化が継承されたという感じでしょうか。
NHK NEWS 2021年6月18日:シートベルトの耐久性など長年 数値を改ざん タカタ後継会社
2. その検査工程は必要か?
タカタの件と無関係の話しですが、不必要な検査工程が残ってしまい、その数値をまともに見ること自体馬鹿げている、という愚痴をこぼしていた製造業の方を見かけたことがあります。本当に不必要なら止めればいいのでは、と思いますが、今までやってきたことだから、ということで続けてしまうのでしょう。
「今までやってきたことだから信仰」は、少なくとも日本社会では根深く、明らかに無意味で無駄なのに、今までやって来たからと言うことで、無意識に続けてしまうことは多いことでしょう。ここでは、「今までやってきたことだから信仰」の善し悪しを議論しません。
3. 1つのデータを軽視すると、すべてのデータを軽視する
今、不必要な検査工程が残ってしまい、その数値をまともに見ること自体馬鹿げているという現象が起こっていると仮定します。この検査工程の数値は意味がないから、と「判断のつく人」はいいです。世の中には、そうでない人もします。この検査工程の数値は意味がないかどうかの「判断のつかない人」もいます。
「判断のつく人」が、ある検査工程の数値を見ることに意味がないと思い、適当に実施していたとします。その光景を見た、「判断のつかない人」はどう思うのでしょうか。他の検査工程の数値も適当でいいや、と思うかもしれません。そこで大きな問題が起きなければ、それでいいのだと思うことでしょう。
データを見るのは、手続き上必要な数値を出す儀式なのだと。儀式が滞りなく進みさえすれば、多少手を加えてもいいものだと。本当に多少であれば、問題は起こらないかもしれませんが、多少の定義は人によっても異なります。多少の定義...